愛とは何だろう。

 

思春期から続くテーマ。

ひとに対する気持ち・思い入れ。

(ひと以外の生きものへの気持ちは、ここでは除外)

 

親から大切にされて育てられれば、

ひとは、同族であるひとに親近感を抱くのは当たり前。

肌の触れ合い、母乳や親から与えられる食べ物を通じての満足感。

子どもどうしで遊ぶ、楽しさ。

少し成長すれば、少年や少女のグループをなしての冒険やいたずら。

思春期になれば、異性へと向かう本能的なエネルギー。

様々な経験を積み重ね、ひと、という不思議な世界へと目覚めていく。

そして、愛を知っていく。

 

ひとへの愛し方は、

70億の人がいれば、70億の愛し方があるだろう。

 

例えば、

相手の何もかも理解し、全てを受け入れる、

大川隆法のような愛もある。

彼によれば、宇宙の全てを彼は把握しているという。

彼は宇宙の最高神だそうだ。

実にすばらしい。

 

釈迦やキリストも

ひとを知ろうと試みた。

どこまでできたか、疑問であるが。

 

ひとの場合、

愛と性愛を切り離すことはできない。

肉体と精神を切り離せないと同様。

 

女性の場合、

こころがないと性感も高まらないという。

男性も同じだ。

こころがないと、勃起しない。

肉体は精神よりも賢い。

 

相手のすべてを理解するのは、

勿論、不可能だが、

生きている限りは努力するのが人間。

努力を放棄した途端に、愛は終わる。

 

離婚は、

共に戦うこと・努力することを止めることだが、

とりあえず休戦という別居もある。

また、気分が変わるかもしれない。

人は絶えず、思い悩むもの、

一つの思いにこだわり続けると疲れる。

 

ひとを愛するとは、

かかわり続けること。

運命を共にすること。

苦難をともにすること。

 

できれば、

お互いに成長できる関係が望ましい。

お互いのこころが安定する愛し方。

しかし、

安定しすぎて、マンネリは良くない。

最低限の緊張は必要。

お互いに批判しあうことも必要。

 

だが、

汚い言葉や表現はしない方がいい。

これは、誰に対しても同じ。

社会生活のルール。

 

親しき中にも礼儀だが、

親しくなくても礼儀が必要。

 

ここから脱線。

今日のニュースで、

日本で働く、

外国籍の労働者が

100万を越えているとか。

よそものに冷たい日本の風土が心配だ。