いじめをなくす その9
子どもたちの教育を、大幅に変えよう。
子育ては、地域コミュニティが行う。
前回のブログで
親でなくてはできないことを除き、
子育ての全てを社会が担う。と書いた。
子ども一人一人が、多くの大人や年長の子どもたちに
守られて養育される。
子どもの個性は、とても多様で千差万別。
いかなる専門家も、子どもの全てが把握できない。
個性的であればあるほど、
多様な大人がかかわらなくてはならない。
子どもたちへの愛とは、簡単に言えば、
潜在的な力を伸ばすようにかかわること。
そのかかわりにより、
相互に啓発する関係になれば理想である。
子どもの自立は、
各人が、自己の判断で、進路を決めるようになること。
子どもたちは、4歳くらいから、
言葉や芸術や学科や運動技能を学ぶようになるが、
その選択は各自に任せられる。
多くの選択課題から自分で好きなものを選ぶ。
全ての子どもは、4歳になれば、
地域コミュニティ内の思い思いの塾に通う。
地域には多様な趣味や技芸をもつ大人がいる。
子どもに教えるのが好きな大人たちは、
様々な塾を開く。
一対一で教えるものから、数名一緒に教えるもの。
学びに通う子どもたちも同一年齢ではない。
年の違う子どもたちが、
共通の学びで刺激しあう。
未来の教育が、
現在と異なる点に、
学校という施設のなくなること。
先生という専門職もいなくなる。
基本的に集団教育はしない。
同じ年齢でも、
発達段階は人により千差万別、
個性も違う。
同じ教室で、一人の先生が、多くの子ども(20名)を
一緒に教えることは、
何の役にも立たない。
教育効果はゼロ。
分かる子どもと、付いていけない子ども、
できる子と、落ちこぼれを、
大量生産するだけ。
ペーパーテストはしない。
個性を無視して数値化するのは
非科学的で野蛮。
要するに、
前の時代に、勃発した、
いじめや校内暴力などの出来事は、
学校があるのが、
最大の病根。
学校は教育に不要というよりも、
教育とは全く違う目的で作られたものだ。
教室で一律に教える、
先生に従順で面従腹背な子どもの量産。
反社会的人間を養成するようなもの。
個性も違い、発達も違う
同年齢の子どもを一斉授業で教える、
現在の学校制度は、
子どもたちの個性や発達をゆがめている。
未来の教育制度に、
学校という制度はない。
子どもたちに教える役目は、
その道に優れた大人が担当する。
子どもは4歳くらいになれば、
地域社会が提供する様々な塾に
好きなように通うことができる。
音楽が好きな子どもは
そういう塾を選べばいい。
塾の指導者は各分野を得意にする大人。
報酬は地域社会から出る。
一対一の指導も可能、
集団を教える場合は、異年齢集団が基本。
技能の進んだ子が、新参者を教えるのは
教育効果が高い。
子どもたちひとり一人にかかわる大人は
基本的に複数が登録される。
その中の一人は、担当の子が成人するまで
一貫して、その子の成長を見守る責務を負う。
つづく