幸せ・満足は、とても主観的。
客観的数値化は難しい。
不自由さを考えてみる。
例えば、ホーキング教授のように
呼吸さえできない、勿論、飲み込むことも、
そんな人でも、
生きがいを感じている。
やることがいっぱいあるからだ。
時間が足りないくらいに。
私の天使(娘)も、
ほとんど、何もできない。
時に「やってられない」とも言う。
しかし、生活には満足しているようだ。
楽しいことがあり、充実している様子。
天使を世話する親、
私も、
いくらかの不自由さはあるが、
むしろ、その不自由さが、
生きがいとなっている。
天使の歯磨きしながら、
「さあ今日も、公園の草取りをしようか」と
話しかけると、
天使は楽しそうに笑う。
天使から見たら、
草取りしか楽しみがない。
なんと、可哀想な親と
感じられるのかもしれない。
昨日も、
午前中の散歩と、夕方の我が家の草取り、
身体を動かす私の日課。
不自由さと言えば、
死刑囚などは、もっとも不自由。
排便さえも、気楽にできない。(監視されている)
それでも、
生きがいを感じて
生をまっとうすることは可能だ。
一般に権力者も不自由さで比べれば、
死刑囚と同じくらい。
一分、一秒も管理されている。
瞑想する時間くらいは
心身の健康のために、
毎日とれればと願うが、
私の老婆心。
安倍さんの国会答弁を聞いていると、
同じことを何度も言わなくてはいけない。
私なら、とうの昔に、キレる。
安倍さんの忍耐力に感心する。
首相や大臣は
気楽に口もきけない。
こんなに不自由なことはない。
官僚や部下が
自分の思いのままに動くなら
無限の能力を感じるかもしれないが。
さすがに巨大組織は操縦不能。
自由があるといえば、
退職後の健康な暇人たち。
また、
生保で暮らす独居老人。
自由さを持て余している人が多い。
私でさえ、
24時間を有効に活用しているとはいいがたい。
一日に一時間くらいは、
なんとなく時間をつぶしている。
やることはいっぱいあるのに。
古希から始めた数学。
さすがに、独学は大変。
簡単な課題なのに、
一歩を進めるのも、
時間がかかる。
24時間を
楽しいことだけ、
わくわくすることで
満たすなら、
本当に幸せと言えるだろうか。
思いつくままに書いてみた。