両親が亡くなり、仏壇も捨て(檀家を止めた)、

遺影を私の部屋に飾っている。

祖父母と並んで4名の顔写真。

毎日、眺めている。

 

いつも思うのは、

私は親孝行者とはいえない、という感想。

 

振り返れば、できることは沢山あった。

その一部しか、やっていない。

 

言い訳はいくらでもできるが、

今、反省すれば、足りないことばかり。

 

これが人生かと、思う。

親孝行も充分にできない。

ましてや、社会貢献など、はかない願いか。

 

古希になり、

私の生の果てもはっきり見える。

 

さらに、地球人類社会の果ても、

いくらかは分かるようになった。

 

今朝のニュースで、

神社の鳥居への落書き事件が。

 

私がディレクターなら、

こんなニュースは取り上げない。

公共のメディアがニュースとすべき優先順位は、

1、これからの社会で奨励すべきよい事柄。

  例えば、子育てには、こういうことが好ましいとか。

  新しい概念や先進技術の紹介など。

2、社会全体で取り組む話題

  例えば、国防とか治安とか、

  痴呆や虐待問題など。

3、一部地域や領域の話題であるが、とてもほのぼのすること。

  全国民で共有できる話題。

  例えば、地域起こしや祭りなど。

4、社会への警告という性格のニュース。

  大規模の犯罪や地震や天災などのニュース。

  例えば、政務活動費の不正流用や豊洲市場問題など。

5、地球規模の事柄。

  地球人類社会の一体化を感じさせるニュース。

 

全体に共通する理念として、

社会教育的な面がある。

マスコミには社会教育的な重要な役割がある。

 

上記の神社の鳥居へのラクガキは

社会教育的な面はないと思う。

模倣犯を刺激する可能性すらある、

危険なニュースに含まれる。

もし、大規模な犯罪ならば、取り上げるできだが。

 

ネットで無責任に取り上げるのは許されるが、

マスコミがニュースにするには、

あまりにも、些細な事柄だ。と私は思う。