私は、普通の人と比べて少し変わっているところがある。

例えば、中学の頃から、犯罪者に関心を持つようになった。

 

多分、小学高学年から吃音で苦しんだ経験がもとになっている。

こころの病、被害者の苦しみ、精神疾患、

それらは、犯罪者のこころに通じている。

 

犯罪者は、加害者というのが、

普通の人の感覚だけど。

 

実際、犯罪者のほとんどは、

社会から落ちこぼれた人々だ。

生まれ育った家庭環境、

影響を与える周囲の大人たち、

虐待や差別など、

正常なこころの成長ができない生育環境がもとある。

だから、犯罪者の多くは、社会からの被害者。

 

犯罪者に関する多くの本を読んできた、

自伝も多い。

それらに共通するのは、

犯罪に至るまでの、

追い詰められた心境。

 

こころにゆとりがあれば、

犯罪はしないだろう。

もっと、他の方法を探す。

合法的な解決法を探す。

 

悪いことをすれば、

隠さなくてはいけない、

バレないように神経を使う。

これが二次的な罪を犯す。

 

犯罪よりも軽いウソ。

うそをつくのは犯罪の始まりと子どもの頃、教わった。

 

うその場合も、本人は隠そうとする。

ごまかそうとする。

何とか言い訳して合理化して、

自分の真意は別にあると自分を納得させていく。

 

平気で虚言をする精神的な病もある。

(私の友人にそういう人がいた)

 

政治家は答えられない質問をされ、

知らないのに知ったふり、

場当たり的な言葉でごまかすことがある。

それは、時に、うそのように思えるが、

当人は当たり前と思い込んでいる。

 

私も今までの人生で、

うそをついたことが何度もある。

多くは忘れてしまった。

 

うそをつかないというのは、

釈迦の五戒にあるが、

実践はとても難しい。

常に正しいことを言わなくてはいけないとすれば、

人は口ごもることが多くなるだろう。

 

ありきたりの規則通りの(公務員にありがちな)

使い古しの決まり文句を繰り返していれば、

中身がないので、

尻尾を掴まれることはない。

これは、うそではないが、

真実を言わないという不誠実なウソ。

 

知恵の足りない頭で考え、

必死で自分の考えを述べようとして、

気持ちは誠実だが、偏見と独断に満ちた主張、

これもウソになる。

 

あとで反省して、

前言がウソと分かれば、

潔く謝罪すれば理想だけど、

体面や見栄やプライドが許さない。

 

ひとの生き方には苦労が多い。