一人ひとりがバラバラで孤独、
こころと心がふれあわない、
皆が別々のことを考え、
それぞれが違った感じ方と行動をする、
そういう社会に暮らして、
人は幸せになれるだろうか。
安心を感じるだろうか。
例えば、ある人Aに困ったことが起こり、
A一人では対応できないとき、
Aはどうすればいいのだろう。
別の人Bは、Aが困っている件を、
解決できるスキルがあるけど、
BとAにはつながりがない。
たとえ、スマホでAがBを探したとしても、
Bから見れば、Aは見知らぬ他人。
Aの求めには応じないだろう。
人がバラバラの社会で、
人を結びつける仕掛けを考えたい。
「新しい公共」
市場経済の消費者である私と、
税によって成り立つ行政などの公的組織。
その間をつなぐ、
新しい公共といわれる仕掛け。
例えば、
生活保護の子どもたち。
放課後の見守り、学習への支援、
時には食への支援が必要な場合も。
親が病気がちで精神的に追い詰められている保護家庭では、
子どもたちへの多様な支援が必要になるが、
行政はそこまでしない。
(予算も人員もない)
行政ができないところをするのが、新しい公共。
そんなことはしなくていい。
自助努力、自己責任がすべて。という考えもある。
落ちるものは落ちればいい。
この世は不公平なものだから。
それでも捨てておけないと、
小さいことから手を付ける人がいる。
地球上のあらゆる場所で、そういう人がいる。
徒労に終わるのに、
愚かなやつだと、言われるかもしれない。
しかし、そういう人がいる。
しかも、そういう人が増えている。
子どもたちに、
「困っている人を見たら、助けたいと思うか」など質問すれば、
大多数がイエスと答えるだろう。
学校教育がいいのか。
それとも、子どもたちが答え方(正答)を学んだためか。
例えば、自宅前の道路の清掃をすすんで行う人がいる。
自宅前の道路を花壇で飾る人がいる。
公園の清掃を自発的にする人もいる。
地震などの天災へ寄付する人もいる。
そういう人が増えている。
私と行政の間に入り、
公共の利益に関する事柄を引き受けようとする人たち。
例えば、生活道路の補修。
公園の管理。
地域の子どもたちの放課後の補習や見守り。
学校での多様な手伝い。ボランティア。
まちづくり、地域づくり。
ゴミの減量への地域の試み。
若者起業への支援。
子ども食堂。
落ちこぼれた子どもたちへの支援。
ニートや閉じこもりの人たちへの支援。
精神障害者への支援。
身体障害者の外出支援。
どの病院や医療機関に行っても、
職員は多忙で、ゆっくり相談に乗ってくれない。
それならば、と
医療情報へのアクセスが自分でできない人々を対象にした
医療で働いた経験のある人々が行う、面談や相談など。
おしゃべりするだけで元気になる人もいる。
カラオケが趣味という人も多いが、
一人で歌っているだけで満足という人は少ない。
人は群れていると、元気がでるというのが普通。
人々のつながりを生み出し、
多様なキズナを作っていく。
新しい公共の理念。