座禅は、こころとの対話。
自己がどのように作られたのか。
幼い頃の記憶がわずかしかないが、
朝、目覚めたとき、隣に寝ている祖母がいなく、
心細くて泣きそうになったことを覚えている。
私は長男。次男と長女が続けて生まれた。
母は次男や長女の世話、
私は祖母に預けられ溺愛された。
幼稚園は毎日、祖母と一緒に通い、一緒に帰る。
一緒に座り、一緒に弁当を食べ。
休み時間も祖母と一緒に遊んだようだ。
小学入学まで、他人の中で遊ぶ経験はなかった。
小学校で最初の登校日、一緒に登校したが、
祖母は教室に入れてもらえなかった。
私は当然、パニック。めそめそ泣くしかない。
それから、教室に慣れるまで約半年かかったようだ。
担任の教師は、若くてきれいな女の先生。
おまけにとても優しい。
私がめそめそ泣くので、
だっこされることが多かったようだ。
不登校にもならず、通えたのが不思議。
抱っこされるのが良かったのか。
同級の皆は、うらやましかったのではないだろうか。
私は母に甘えた記憶がほとんどない。
女の先生が母代わりになったのかもしれない。
運動はダメだったけど、勉強はできた。
小学4年くらいから図書館で本を借りて読むのが楽しみになった。
小5からは吃音。
これは特別な経験。
日曜だけの閉じこもりが始まり、4~5年続く。
外に出て、友達と遊ばず、家で一人遊び。
私は学級委員やら、地区の子供会(約60名)会長らやで
友達は多かったはずなのに。
閉じこもりの原因は50才過ぎるまで分からなかった。
中学の頃の写真も少ない。
中学時代の自分が何を考えていたのか、
吃音を除いて、鮮明な思い出がわずかしかない。
独りで本を読んだり、考えたり、
独りでいることが多かった。
中学から高校、
ものごとを考えるのが私の趣味になった。
例えば、
「何故、挨拶しなくてはいけないのか」
「何故万引きはいけないか」
「正しいとか間違っているとか、どこで決まるのか」
「先生は尊敬しなくてはいけないのか」
「愛とは何か」
などなど。
本を読んでは考える日々。
高校では弁論部。
ここでも議論した。
友達も議論が好きな人ばかり。
相当の変人・偏屈になったようだ。
勉強は一切しない。
教師も尊敬しない。
将来したいことは二つ。
一つ、人生とは何かを知りたい。
一つ、社会活動したい。(政治やボランティアのような)
勉強しないでも大学に入れた。
ひたすら、学生運動。
しかし、私の考えが普通でなく、仲間ができない。
独りで動くには限界がある。
つづく