自由と選択を縛るものは存在しない。
お昼過ぎまで曇天模様だったものが、途中から降り出しましたね(^^)梅雨が近い事へのサインにも感じました。ふと、タイトルの言葉が思い浮かび、それについて、考察してみました。私達は日常の中で、常に様々な選択肢の中に身を置いている存在です。選択の瞬間は、意識する、しないとに関わらず、絶えず連綿と訪れて来ます。そして、何を選択するのも各人の自由です。その選択によって、導かれる結果は大事ではなく、自分の意思で選択した行動(実践)そのものが大切なのだと思います。この事を突き詰めて考えると、全ての選択は、自分の意思で決定しています。誰かの意見を参考にしていたとしても、最終的に選択をするのは自分です。すると、選択の結果、何が待ち受けていたとしても、それは誰のせいでもなく、選択をした自分自身の責任になります。これこそが、全ての命に与えられた自由と選択の大いなる法則だと観じます。つまり、誰も選択の自由を奪うことはあり得ないと言うことでもあります。全ては、自分が選択した結果であり、そこに他の力は働いていない。幸せを選択するのも自分、不幸を選択するのも自分。善を選択するのも自分、悪を選択するのも自分。富(とみ)を選択するのも自分、貧(ひん)を選択するのも自分。強者を選択するのも自分、弱者を選択するのも自分。平和を選択するのも自分、争いを選択するのも自分。こう見ていくと、全ては役割のようにも感じます。自らを照らす為に、役柄としての対極を創り出している。先程の、『選択』の部分を『創造』という言葉に置き換えると、もっとわかりやすいと思います。この世の不幸と思っている事柄は、実は、自分が選択(創造)した結果であって、悲しむべき事ではないのかも知れません。もし、その選択を望まないのならば、その事を選択しない事を選択することも自由なのですから。自由と選択を縛るものは存在しない。それを縛るも縛らないも、全ては自らの選択次第なのでしょう。 -好きにしなさい、それは自分で選んだことなのだから。-Photo:空の意思。(by 富士山四合目)BGM:ラフマニノフ: ピアノ協奏曲 #2, ハ短調, Op. 18 - 1./James DePreist; 東京都交響楽団♪