
それが、この『一生一日』の生き方です。
生まれてから死ぬ迄だけが一生なのでしょうか。
そう考えると、いつ生まれ、いつ死ぬのかわからないが故に、命の長短に執着が生まれます。
長いから尊いのでしょうか。
短いから虚しいのでしょうか。
その事を思い煩うよりも、朝起きたときに、今日も生きていることに感謝をし、今日一日を一生のつもりで生ききる事が出来たならば、生ききった自分を労(ねぎら)い、生かしてくれた全ての存在に感謝をして、後悔なく眠りにつけるのではないかと思います。
例え、その翌朝に目覚めることがないとしても、悔いなく生きていればこそ、潔く受け入れることが出来るような気がします。
明日が、未来があると思うところから、執着が始まり、今現在を置き去りにしてしまう。
過去は経験であり、未来は、誰にもわかりません。
経験として培った過去を疎(うと)んじたり、栄光にすがることをやめ、わからぬ未来を思い悩むことに決別すれば、今この瞬間を全身全霊で生ききる事に繋がるのではないでしょうか。
今を本気で輝かせることこそ、命を輝かすことの出来る最良の生き方なのだと観じます。
過去でも未来でもなく、今現在を『一生一日』の心持ちで生きて行ければ、魂は眩しいほどに輝くことでしょう。
そして、いかに余計なものを背負って生きてきたのか、気付くこともたくさんあると思います。
明日があると思うからこそ、おろせない荷物はありませんか。
-明日でもない 明後日でもない いまを生きる。-
Photo:木漏れ日の散歩道。(by 明治神宮)
BGM:朝の陽ざしに君がいて/安全地帯♪