
その事が積み重なる事により、心の負担は重くなり、自らのバランスを崩していきます。
何故、こうも批判的になってしまうのでしょうか。
それは、たった一つの理(ことわり)を忘れてしまっている為に起きている錯覚なのだと観じます。
その忘れている事とは、全ての存在は完璧であり、何一つ付け足すものなどないという事です。
こう聴くと、人間は不完全で、完璧とは程遠いと思われる方も多い事と思います。
所が、その不完全だと思っている事自体、完璧なる中で、不完全を演じているに過ぎないのです。
自らの人生に起きる全ての事柄は、自らが望む経験をする為に、自らが創造した舞台装置であり、シナリオであり、演出であり、キャスティングなのです。
正義を味わいたければ、悪人が必要となり、人を救う経験をしたければ、救いを求める人が必要になります。
何一つあます事なく、役割であり、役柄なのです。
その事に気付くと、自らの眼前に繰り広げられる事柄全てに完璧さを見いだし、気付く瞬間が増える事でしょう。
嫌な経験ばかりをすると観じたならば、自らに嫌な経験を観じさせてくれた存在の中に完璧さを見いだし、それ以上を必要としないのであれば、最終回のシナリオを書き下ろし、その事柄を手放せば良いのです。
全ての事柄に完璧性を見いだす事により、いつの間にか否定は影を潜め、肯定する瞬間を増やし、その光のスパイラル(螺旋)は、宇宙へと溢れ出し、更なる光を呼び寄せます。
完璧であるが故に、全てを肯定する光の法則に気付いたならば、人生の創造は光り輝き、もはや、否定に埋もれていた過去の自分は、懐かしい想い出の中に風化してゆく事でしょう。
-完璧を観じる為に、不完全を創造しただけなのです。-
Photo:優しく流れる光。(by 明治神宮御苑)
BGM:Happy Ending/槇原敬之♪