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いつからなのでしょう、人類が、自らの創造を棚に上げ、第三者の挙動にのみ関心を注ぎ、それを基準として、比較をし、互いを評価し合い、それを良しとする社会を創り上げだしたのは・・・。

人生とは、自らが全身全霊をかけて創造する場(機会)であり、誰かの創造を比較の材料としたり、評価の対象とする為にある訳ではありません。

その魂が、その人生を創造したのであれば、それ以外の魂は、その事を祝福し、自らの人生を創造するのみなのだと思います。

それぞれの魂が、自らの中における最高の選択を意識し、それによって創り上げる世界の何と素晴らしい事でしょう。

その素晴らしい創造に対して、何故、比較や評価(評論)が必要なのでしょうか。
ただ、その素晴らしい創造への祝福があるのみだと観じます。

いつの時代も、真剣な命(魂)の営みに対しては、その真摯な輝きに対して、嫉妬、妬み、嫉(そね)みが渦巻き、迫害されるという歴史を繰り返してきました。

これから先も、同じ事を選択していく魂もいる事でしょう。
だからといって、その事を攻める必要はありません。
それも選択の一つに過ぎないのです。

この二極化の世界において、真剣な命(魂)の営みに対する、比較や評価(評論)は、もはや必要ありません。
飽きる程、その事を逡巡した所で、自らの創造のエンジンをスタートさせる原動力とはなりません。

争いを手放し、全ての魂が、ありのままの創造を解き放ち、お互いの創造を心より祝福する時、光溢れる弥勒(369)の世が現出するのだと観じます。

 -ただ自らを創造し、全ての創造を祝福せよ。-

Photo:瞑目する少年。

BGM:Mina/吉俣良♪