
もし、とある存在が現れて、あなたに向かって、明日までの命と宣告したとしたら、あなたは、その刻限までに何をしますか。
一生一日(いっしょういちじつ)の心持ちで生きてきた魂は、静かな笑顔で、こう言う事でしょう。
「私は、次の瞬間に死んでも悔いを残さないように、瞬間瞬間を一所懸命に生き抜いてきました。だから、特別に何かをするつもりはありません。今も、次の瞬間も、全ての事柄に感謝をし、為すべきことを為すのみです。」
それでは、その心境に至っていない魂は、どうでしょうか。
「明日死ぬなんて、冗談じゃない!! 何故俺なんだ! 俺には、まだやり残したことが山ほどある。俺が一体何をしたって言うんだ。悪いことをしている奴は、他にいくらでもいるじゃないか! 金ならいくらでも払う、だから頼む、俺を生きながらえさせてくれ!!」
両極端なケースを上げてみましたが、あなたは、どちらの心境に近いのでしょうか。
そして、この事から、何を感じ取るのでしょうか。
これは、あくまでも譬喩(ひゆ)です。
しかしながら、いつ訪れてもおかしくはない現実味を帯びた譬喩です。
明日で死を迎える際に、その魂は、何を携えて、次なる世界へと旅立つのでしょうか。
お金ですか、ものですか、地位ですか、名誉ですか、食欲ですか、性欲ですか、征服欲ですか。
真剣に考えてみて下さい。
そうなった際に、自らが何を手放せないのかを・・・。
更に、手放せないものが浮かんだならば、何故(なにゆえ)に手放せないのかを考えてみて下さい。
そこに、出し切れていない膿の答えが隠されているのだと思います。
弥勒(369)の世への扉が開かれた今、何が手放せないのかを見極める好機が訪れたのではないでしょうか。
自らの魂を信じ抜き、一つ一つのベールを剥がし、どれだけ苦しくとも、そこから目をそらさずに、昇華(消化)していくことが大切だと心より観じます。
必要な苦しみを避けることなく対峙し、今こそ、大いなる記憶を甦らせて下さい。
『苦をいとわず、楽を求めず。』
-本来無一物、手放せないと思う心をこそ手放す。-
Photo:龍神、登る。
BGM:明かりの灯るところへ/玉置浩二♪