




もうそこまで、冬の足音が近付いているようです。
ここでも何回か書きましたが、道端を歩いていると、必ずと言って良いほど、蝶を見かけます。
陽光の陽射しの中で、軽やかに、そして、厳(おごそ)かに舞い踊っている蝶。
ふと、その姿を眺めていると、人間の姿と重なる気がします。
芋虫の時代こそ、今の人間の姿そのものであり、やがて美しく羽ばたくことを忘れ、外見に囚われ、本来の姿(真理)を知らずして、忌み嫌う。
今を生きていることは、同時に、過去と未来をも生きていることに繋がるのではないでしょうか。
目には見えずとも、芋虫が蝶になることを知っていればこそ、芋虫を受け入れることが出来るのであれば、人もやがて、蝶となる未来を含んでいるとは思えないでしょうか。
例え、現代が争いにまみれ、我欲を剥き出しにしていたとしても、そこに留まることを良しとせず、自らを省みる謙虚さを手放すことなく、蝶となる日を信じ、小さくとも構わない確実な一歩を踏みしめることが出来たのなら、そこに差す小さな光を消し去ることはないのだと観じます。
私は、傷つけ、傷ついてきた。
私は、奪い、奪われてきた。
私は、蔑(さげす)み、蔑まれてきた。
どの魂も数限りなく、輪廻を繰り返し、役柄と立場を変え、あらゆる事柄を学び続けています。
不幸な人などはいません。
そして、幸福な人などもいません。
その事が得心(とくしん)出来た瞬間に、芋虫だった人類は、蝶への道筋(進化)を歩き始めるのだと観じます。
何一つとして、無駄な事などはありません。
やがて蝶になる為に、志を高く生きて往(ゆ)きたいと思います。
-見た目の美しさではなく、内なる輝きを見据える。-
Photo:鮮やかなる飛び魂(とびだましい)。
BGM:旅立ちの日に (合唱ヴァージョン)/岡本知高♪