
戦国の世にあって、私利私欲での戦(いくさ)を良しとせず、『義』を重んじる生き様は稀有と言わざるを得ない武将であった。
影響として大きいのは、父親(長尾為景)の死後、長男(長尾晴景)が家督を継ぐと同時に、次男が故に、仏門に入った事であろう。(林泉寺と言うお寺に入門し、天室光育と言う人物に師事している。)
自らを毘沙門天の化身と称し、戦場においては、自ずから先頭に立ち、事前の周到な準備よりも、現場における閃きを大事にした部分も戦の天才と言われる所以であろう。
好敵手と言われた武田晴信(信玄)ですら、謙信からしてみたら、私利私欲の為、自分の領土を拡大し続ける侵略者として嫌悪していた節がある。
明治維新前の高杉晋作も同系列に属する閃き型の戦の天才と言う点で似ているかも知れない。
日本の戦国武将の中で、誰が最強だったかを肴に盛り上がる場合、長尾景虎(上杉謙信)を外して語れない事は確かである。
49年の苛烈な生涯を送ったカリスマ謙信の生き様は、現代人の心にも響く何かがある。
-極楽も 地獄も先は 有明の 月の心に 懸かる雲なし- 上杉謙信(辞世の句)
Photo:飯縄明神(いづなみょうじん)の前立。(by 米沢)
BGM:足音/槇原敬之♪