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まい

若見え*たまご顔*専門サロン

誕生編星

(大好きな、従姉妹のお姉ちゃんと♡)

私は、青森県で一人っ子として生まれました。


幼少期は、
近所の男の子を泣かすような気の強さがある反面、
唯一買ってもらった人形を肌見離さず、
ずっと持ち歩くような子供でもありました。


当初は父母と祖父母と5人で暮らしていたのですが、
お金で苦労することが続き、
小学校前からは母が女手1つで育ててくれました。


いわゆる母子家庭でしたが、
母が必死に働いてくれたおかげで、
その後お金に苦労することは一度もなく。


わざわざバスで片道1時間かけて通わなければいけない高校にも、ワガママをきいて通わせてくれました。


が、人生において試練が多い私は、
ニコニコ笑ってずっと生きてこれた人生を
生きてこられたわけではありません。


母に、そこまでしてもらった高校生活なのに、
部活が遅くなった日の帰り道、
後ろからきた車に痴漢にあいました。


シルバーのワゴン車で
荷台に脚立など工事に使う物を積んでいる車。
当時コンタクトをしておらず、電灯もなかったため、
ナンバーは全く覚えられませんでした。


田舎のため、とても暗くて細い道だったのですが、
バスにのるためには、その道を通るしかなく。
いつもなら何十人も通っているけれど、その日はたまたま私だけがいたから、ターゲットにされたのだと思います。


けれど、
とてもショックで、怖くて、意味が分からなくて、
でも、これだけで済んで良かったのかも…生きてるし!と必死で自分を落ち着かせていた次の日、


校内が朝礼でシーンと静まりかえるなか、全校放送で校長室に来るよう呼ばれ。(警察の事情調査のため)見知らぬ男の人しかいない締め切った部屋で、
事細かく何度も状況を聞かれました。

 
どこをどんな強さで、何回?
こういった類いの質問を
何度も同じように聞かれるんですよね。

 
気持ち悪さを感じながらも、
犯人に捕まって欲しい想いから
頑張って頑張って答えました。 


でも、その翌日の全校集会で、
壇上の教頭先生に「スカートを短くしていた生徒が悪い」と断言されてしまったんです。


壇上とは一番遠い位置にいましたが、
教頭先生の言葉が体にこだまして、
どんどん冷たくなっていったのを覚えています。


何人か事件が最近起きているけれど、
と付け加えていましたが、
その高校では私以外に被害にあっている人はいませんでした。

 
たしかに膝下のスカートを膝上にしていたかもしれません。
でも、私はただ早く帰りたくて、
ただいつもの道を真っ直ぐ歩いていただけ。

 
「絶望」って、
こうゆう感情なんだなと記憶しています。
一刻も早く、その場所からいなくなりたくて仕方ありませんでした。


一時期はそれでも頑張ろうと思っていましたが、
弱かった私は世の中に絶望し、


もともと自己肯定感が低かったこともあって、
色んなことが嫌になり、
心がグチャグチャになって、荒れに荒れました。


自分の人生どうでもいいとさえ思っていました。
明るい未来なんて想像出来るはずもなく、


ただ自殺だけしなかったのは、
"自分から死んだら負け"だという母に刻み込まれた
教えがあったからなだけでした。


それでも、月日が経ち、時間と人に助けられ、
少しずつ心が癒えた頃、やはり夢を諦めたくない、挑戦したい、東京に行きたいと強制的に上京。
(やりたいことをやれないとストレスが溜まる性格は、昔からあったのでした 笑)


上京してみて初めて、
お金に苦労しないことが当たり前だと疑わずにいた
10代のぬるさを知ります。


社会人になり仕事をしだしてから、母の凄さにやっと気付かされたのでした。