4月は、新年度の始まりでもあり、入学シーズンですね。
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入学式を迎えられる方々にお祝いを申し上げます!桜

我が家の2人の子どもたちの新入学について、思い出は色々とあります。

特に、息子の思い出。

息子は、中学から親元を離れて、東京の学校へ進学しました。

一方、私は、息子が第一志望の地元  広島市内の中高一貫校の男子校に合格したので嬉しくてたまりませんでした。
が、息子は、東京の学校に行くと言って、自分で進路を決めてしまいました。

 ですので、私は泣く泣く、第一志望の男子校へ入学辞退をするために謝りに行きました。
その時は切なかったです。
私は、息子がその男子校に入るのが長年の夢だったのです。
男の子は、親元で一緒に生活する期間は短いのに、わざわざ、中学生から親元を離れなくても、という思いがありました。

イメージが重なるのは、『坂の上の雲』です。
若き正岡子規と秋山真之が、大志を抱いて、
瀬戸内の街・松山から東京に行きますが、
我が子も、12歳で、瀬戸内の街・福山から東京に出て行きました。

意識した訳ではないのですが、
息子が進学した中高一貫校は、子規と真之が通った神田の共立学校の後身の学校になります。

その後私はしばらく泣いて暮らしていましたが、
入学してみると素晴らしい学校でしたので、今ではよかったと思っています。
保護者総会のたびに校長先生のお話に感銘を受け、毎回、メモを取りながら拝聴しました。
そのメモは、私の宝物です。

息子と離れて暮らした為に、男の子特有の反抗期を体験することがなかったことも幸せでした。
そして、中高6年間、一度も息子の成績表を見ることもありませんでした。本人に直接成績表が渡されるからです。そのことも、ストレスフリーで幸せなことでした。
息子からきいて大体の成績は把握していたつもりでしたし、自分のことは自分が一番わかっているでしょうし、なにもかも自分で決めてしまう子ですので、親がどうのこうの言っても仕方ありません。

ピンク音符ピンク音符ピンク音符ピンク音符ピンク音符
娘は、広島市内のカトリックの中高一貫校の女子校へ進学しました。
入学式の日は山桜が美しく咲きほこっていました。
その学校は、私の母校でもあるのですが、私が通っていた頃のような本人の自主性を重んじる自由な校風はもはや消え失せていました。
こんなに校風が変わっているなんて、福山からわざわざ広島まで通うことはなかったです。大好きだった母校が、娘が入学した後は、大嫌いな学校になりました。
大好きだったので、ずっと母校と関わりを持っていたくて娘の入学を喜んだのですが、
今では大嫌いです。

成績表は、私の頃と同じく、自宅宛に郵送されてくるのですが、息子の成績表を見ないことに慣れていた私は、勝手に封筒を開封することに抵抗がありました。なので、成績表が届いたら、開封せずに娘の机の上に置いておきました。6年間ずっとです・・。

たとえ変な成績を取ってしまったとしても、何をしなければいけないかは、本人が一番よくわかっていると思うからです。

ブルー音符音符音符音符ブルー音符
結局、息子は、アメリカへの交換留学も経験しましたが、大学は東京の大学に進学し、福山に戻ってくることはないでしょう。

息子にとって故郷は福山だという感覚はなく、
12歳から暮らしている東京の方が身近に感じると言っていました。
東京に帰るとホッとするそうです。

アメリカでは、母の日は日本よりも盛大なイベントのようで、アメリカ留学中の息子から母の日のお祝いのメッセージが届いたのは嬉しかったです。
そして、ホリデーは家族で過ごすのが一般的なようで、家族を大切にするようになったことと、私に対して労わりの言葉をかけてくれるようになったことは嬉しいことでした。

それから、息子は中高時代には、アイロンのかかっていない制服のシャツを着ていたことが恥ずかしかったそうで、アイロンのかかったシャツを爽やかに着こなしている級友が羨ましかったと言っていました。
母親のありがたみがわかったようで、そのことも私にとっては嬉しいことでした。

幼稚園、小学校の9年間、私は子どもたちにアイロンのかかっていない制服を着せたことは一度もありませんでした。

娘は親元から中高へ通いましたので、中高6年間、毎日アイロンのかかった制服を着ていました。
クローバークローバークローバークローバークローバー

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息子が東京へと出発した日に、娘が書いたものです。
もう10年以上前に書いたものですが、未だに消せずにいます。

私と息子が車に乗って福山駅まで行くのを、玄関の前に立って、悲しそうにお兄ちゃんを見送っていた妹の姿が目に焼き付いています。

今でも思い出すと、涙が出ます。えーん

娘もまた、東京の大学に進学し、2人とも福山を出て行きました。

娘が東京へ行く時も、
ママはとっても寂しかったのですよ・・。