Brand New Day
新しい自分に出会える朝がある
6月 衣替え、夏の始まり
コロナ緊急事態宣言解除
コロナの終息までにはまだまだ道のりは長く、
マラソンに例えたらほんの一回目の給水所にかかったくらいかもしれません。
それでも、どうにか青森では感染の広がりがなく、街の雰囲気がふんわりと緊張から解かれたように感じます。
そうして、青空と夏の日差しのなか晴れた道の真ん中を
顔をあげて背中をのばし、大股でずんずんと歩いていて、ふと、
(あれ?新しい私のはじまり?)
新しい朝が来た!という感覚を覚えました。
コロナ禍で自粛し、仕事や遊びの機会が奪われ、人と接することがほぼなくなるという期間を経験し
様々なことを皆さんもお考えになったことでしょう。
いままで、忙しさにかまけて放っておいたこと
惰性で続けていたこと、丁寧に接していなかったこと
仕事、趣味、習慣、暮らし、家族や友人知人、恋人との関係性
あまり暗く思いつめないようにしながらも、
自分自身とむきあうこと、これまでやこれからのこと
時間をかけて顧みて、省みて、、、
やがて、おずおずと前に出した一歩が
なんとなく自分で自分を励ましつつ「生きている実感」というのか
力強いもののように感じました。
よし、大丈夫、これでいい
かつて自分が手帳に書き留めた「どこかで出会って拾い集めた言葉」に背中を押されることもあります
<今ある状況が自分で納得できるなら ここまでの道のりのなか
そのときそのときの選択が間違いではなかったと思えるのは幸福なことだ>
人は、泣いたり笑ったり怒ったり、毎日色んなことがあるもの
毎日あたらしいページに人生の一日が刻まれていく
その壮大なヒダが綴られていく人生。
悲しいことを経験するたびにまた強くなる
記憶は消えるものでないけれど、新しいページをめくって人生を続けていくもの
こんなことがあったんだ、とページをめくる
なにかの節目の折に、第〇章が終わってはまた新しい章が始まる
その、新しい章の始まりを実感する朝
そういう感覚を大事にしていきたいな、と思うのでした。
コロナ禍の経験も苦いことばかりではなく、いろんな気づきがありました。
まだまだ終息ではありませんが、最前線で働く方々へ敬意と患者さんの早い回復をいのりつつ
2020春 コロナ禍経験を記録しようと思いました。
ひまわり娘
それはぁー あなたのためよー
ずいぶん前の歌です『ひまわり娘』です。
(・・・もう、ムスメという歳ではありませぬが)
もし、声をお花に例えたら。。。。?
この頃、あれこれと気分が塞ぐことが続いていたのですが
先日、とある方からお仕事のオーダーとともに、嬉しい言葉を頂戴しました。
「ひまわりのような声」
私の声を、ひまわりと例えてくださったのです。
もしも、ひまわりがお話しするとしたら、きっとこんなだろうなって。
それが夏の象徴、前向きで明るくエネルギーに満ち溢れる
ひまわりであるというのが、何よりも嬉しくて
ささくれた心が優しさで潤いがもたらされ、温められました。。。涙
太陽に向かって前向きに咲く、あの天真爛漫さ
見る人を明るい気持ちにさせてくれるあのひまわり
ひまわりな声、、、って、嬉しいですね。
ああ、でも、
百花の王、圧倒的な存在感の、『牡丹』のような声
とか
気品ある清々しい『百合』のよう、
とか
優しくかれんな『なでしこ』のよう、
とか
それも全部いいなーー。
どんな花でも嬉しい。
つまりは「声をお花に例える」発想がユニーク。
それを自然にイメージさせたというのが、心に響いたのです。
私の声が、花!
ひまわりの声!
明日も、明後日も、ずっと、頑張ろうっと。
フリーランスになって20年
アナウンサーになって27年。
高校の放送部がきっかけで、声の表現に興味をもってから
ずいぶんと長くなりました。
わたしの仕事。誇りをもって。
愛と感謝を胸に。
誰かの心に、花を届けられるように。。。。続けていきます!
(ちょっと、ときどきへこたれるけど)苦笑
そのときどきに相応しい花を咲かせていきたいと、心新たに誓いました。
とさ。
「晴れた日の道の真ん中を歩く」
ブランドプロデューサー柴田陽子さんの言葉とともに。。。
ヒットはホームランの失敗
『ヒットはホームランの失敗』
心に響いた珠玉の名言、
腹がよじれた迷言、珍言をかきとめる
私の「オレンジ手帳」
久々に今年のメモを読み返しました。
ヒットはホームランの失敗
これは仕事での成功度のことできいたものです
けっこういい仕事を取ってきている営業さんなのですが
どうやら自分では納得がいかないらしく、もっと上を目指して挑んだけれど
そこは狙い通りではなかったと。
しかし結果的に関連の仕事をとってきてはいるので、他所からみたら、ヒットの連発。
なかなかの成果なのですが、しかし本人曰く「ヒットはホームランではない」のです。
「ホームランの失敗」なのだそうで、もとからヒット(凡打)程度を狙っていては
いかん、ということなのですね。
こんなもんで。。。
ぐらいで、留めておくとヒットすら生まれないわけで。なるほど、なるほど
響きましたねー。
そしてもうひとつ
「道ならぬ愛なら、求めることをやめると、幸福になる」
まぁ、その、「道ならぬ」は、ちょっと置いておいて
人それぞれ事情があると思うので、それなりに置き換えてみましょう
(道ならぬわけではないけど、難しい事情。例えばジェンダー、家敵?とか)
欲しい欲しいと、思うから辛い
会いたい、言葉を交わしたい、触れあいたい
相手からも愛されたい
と、思うから苦しいわけで
愛する人がこの世に存在している
それだけで嬉しい
愛しい気持ちをもてる平和と幸福をかみしめる、ということ
そっかー。手にいれたいと思うから苦しいのですね。
「好き」っていう気持ちだけをシンプルに大事に
相手の幸せを祈るしあわせ。
さらに
「見返りを求めない」
ああ、しらずしらず求めていたかも。。。
これは子離れできずにいる親にもいえるそう
ちっとも寄り付かないとか、同居しないとか、
子供に期待してはならぬもの。成人まで育てたら、はい、いってらっしゃい!と
他人だと思うぐらいじゃないと、辛いわよってことらしい。
さまざまに重ねられますね。
あの人が私を受け入れてくれないとしても
私はあの人がすき
貴方への愛こそが、私のプライドーー♪
あれ?
どこかで聴いたようなーーーー(笑)