被災者支援の一環で陸前高田市の仮設住宅で
ボランティア活動をさせて頂きました。
活動はピースウィング・ジャパンさんのご指導
の元、所属する会社のメンバーと大手小売店の
提供衣類を被災者のご要望通りに仕分けし、届
ける作業でした。
私が高校生だった頃、阪神大震災を経験しました。
同級生のお友達や親戚・ご両親がなくなられた
方がいらっしゃったことを記憶しています。
当時発生から1週間してから被災地に入りましたが、
その印象は、街の中に突如として壊れている家が
あって、壊れていない家と全壊もしくは半壊の違い
は何なのか、築年数の違いなのかとか考えながら、
復興のイメージはまだ容易だったかと思います。
街のインフラ的な部分は残っていましたから。
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![ringo3ameba3のブログ-津波の高さ](https://stat.ameba.jp/user_images/20111010/21/ringo3ameba3/82/31/j/t02200164_0800059811538996680.jpg?caw=800)
今回の震災は、全く違うものだと感じました。
なんていっていいのか、街ごと無くなっているん
ですから。
そして想像を絶する浸水。水かさ。津波の破壊力。
最初これを見たとき、なんて言葉に表していいか
よくわかりませんでした。自然の驚異?そして
何よりも復興の道筋をどのようにつけていいか・・・
被災地に住んだわけではないので、解らないだけかも
しれないけど頭の中が真っ白になりました。
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![$ringo3ameba3のブログ-忍耐](https://stat.ameba.jp/user_images/20111010/21/ringo3ameba3/a2/c6/j/t02200164_0800059811538998513.jpg?caw=800)
仮説住宅で作業の合間休憩しているときでした。
ふっと目に飛び込んできた元グランドフェンスにあった
『忍耐』の文字。
これは中学の野球部が被災前に掲示したものなのか、
ボランティアもしくは被災者自ら掲示したのかは
区別はつきませんが、とても切ない気持ちになりました。
被災者の周りには何もありません。仮設スーパーにいこう
にも産地など、放射性物質を避けるなど種類が選べるわけでもありません。
けど、一日一日食べずにはいられません。関東に住む自分たちは
アンドロイドかiPhoneかみたいなことで悩んだり、会話を
楽しんでいるわけです。なんだかとってもやるせない気持ちでした。
ただただ、自分で出来ることを黙ってやっただけ。
自助努力なんて言葉は、当分言えそうにありません。
もう、十分やっておられるんですから。精神的にぎりぎりのところで。
![$ringo3ameba3のブログ-虹](https://stat.ameba.jp/user_images/20111010/21/ringo3ameba3/16/e1/j/t02200164_0800059811538999748.jpg?caw=800)
宿泊は平泉そばの一関・厳美渓でした。
宿泊して翌朝撮った虹が、街の復興の一助になることを願ってやみません。
最後までお付き合いありがとうございました
![晴れ](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/022.gif)