この記事は、とても重い記事です。
読んで下さったあなたを
楽しい気持ちにさせられるものでは
決してありません。
むしろ、不快な気持ちにさせてしまうと
思います。
震災のことに触れます。
心に傷のある方は、絶対に読まないでね。
あなたの傷を痛ませたいんじゃない。
私の気持ち。
宮城ポリスに参戦する上で生まれた
私の気持ちだから。
「書かない」という選択もあるよね。
ありがとう。
けど
こんな心の揺れも、私にとって
全部宮城ポリスに繋がっているから
それも含めて宮城ポリスだったから。
もう1度言います。
無理しないで下さいね。
「Smile」
私は未だにこの曲と向き合えません。
「RAY」を聴いていても、必ず飛ばします。
「RAY」が発売された頃は数回聴きました。
でもまた聴けなくなっちゃった。
「Smile」
発売された当初は、知りませんでした。
音楽を聴くのも嫌。
テレビも、どこのチャンネルをつけても
震災の映像で、私も見たくないし、
子供に見せたくない。
情報として必要だったのかもしれないけど
東北の人には苦しいものだった。
だから、教育テレビばかり見てた。
最初に言います。
私は被災していません。
家族も、親友も元気に暮らしています。
「あの日」私の住んでいるあたりは
震度5強。いくつかの地震が連続で起きた。
地球が壊れるんじゃないかと思った。
私は東北の沿岸に住んでいます。
私は被災していませんが、
津波は家のすぐ側まで来ました。
川も逆流して溢れて、すぐ近くまで
水が来ました。
本当にギリギリのエリアなんです。
上空では毎日ヘリが飛んで
大きな余震がある度にサイレンが鳴って避難。
停電もあり、そういう時、建設業に
お勤めしている旦那さんは、避難所に
発電機を設置しに(役所から指示)
出掛けます。災害があると、いて欲しい
時に、必ず出勤します。夜中であろうと。
今でも地震がくると
体が震えます。寒くないのに。
ガタガタと。
震災のとき、私は友人を1人無くしました。
「亡くした」ではなく「無くした」。
私は大学時代、仙台に住んでいたので
今でも仙台に何人か友人がいます。
震災後、1人のお友達と連絡が取れました。
「生きていてくれて良かった」
心からそう思いました。
その子と私の共通の友人と何日も
連絡が取れませんでした。
心配でした。大切な友人だから。
だから、「連絡取れた?」と
何度も先に書いた友人に連絡しました。
そこで言われた言葉
「○○(私)は△△ちゃんのことだけ
心配するんだね。私だって同じ被災者で
苦しんでるのに」
「○○は優しい振りして、平気で人を
傷つけるんだよ」
違う!そうじゃない!
違うんだよ!あなたを心配していない
わけじゃない!
安否が確認できないから必死なんだ。
もし△△ちゃんと連絡が取れて
あなたと連絡が取れずにいたら
私は必死にあなたの安否を色んな人に
確認する!
違う!違うの!お願い。。解って。。
それ以来、その子は何度連絡しても
音信不通になりました。
私は友人を「無くし」ました。
これが、今までも何度か書いている
私の心に刺さった2つ目の棘。
震災の記憶と一緒に思い出される
哀しい記憶。
グランディは震災後、
「遺体安置所」になりました。
あの会場は、無念の中、星になった
もしかしたら、誰にも見付けて
もらえなかった魂が安置された場所。
私にとって今まで、グランディは
楽しい思い出がいっぱい詰まった場所
でした。
親友と初めて出会った場所。
とあるミュージシャンのライブで知り合って
それ以来ずっと仲良し4人組。
今はみんなそれぞれの地域で暮らしています。
思い出いっぱいの大切な場所だった。
私ね、
震災の後1度も宮城県に行かなかった。
行けなかった。足が向かなかった。
大好きな街だったから。
楽しい記憶しかない街だったから。
行くのが怖かった。
グランディなんて尚更だ。行けない。
私ね、去年の「WILLPOLICE 2013」
チケット取れなくて行ってないんです。
ライブ当日は、時計をボーッと見ながら
過ごしました。
でもね、正直、チケット取れなくて
行けなくてホッとしていたんです。
あの場所に行くのが怖かったから。
行けなかったけど、
どんなライブだったのか知りたくて
ネットで色々探して、ファンの方の
ブログが存在することに気付きました。
その時に私が見つけた、出会った
ブロガーさんが私の最初と2番目の
読者さんです。
そこから皆さんとのご縁も繋がったんです。
ありがとうございます。
話が少し逸れちゃいましたね。
そんないくつかの「あの日」を巡る
想いが交錯して、私をグランディから
ずっと遠ざけてきたんです。
大好きなBUMPに会うのが怖かった。こちら
でも、それと同じくらい、もしくは
それ以上にグランディに行くのが
怖かったんです。
だからね、皆さんのおかげなんです。
私が宮城ポリスに行けたのは。
ガタガタ震えながら開演を待ったこと。
「WILL」を聴きながら、皆さんの
ピグや「いいね」の写真が浮かんだこと。
涙でスクリーンが見えなかったこと。
タオルで顔を覆って泣いたこと。
ポッケに入って着いてきて下さいって
皆さんにお願いしたこと。
皆さんに支えられてグランディに
来れたこと。
ライブ中も何度もポッケを
ギュッと握りしめたこと。
色んな想いが交錯した宮城ポリス。
皆が連れてきてくれた宮城ポリス。
今だから、皆さんがいてくれたから
震える足でも来られた。
ありがとう。ありがとう。ありがとう。
・゚・(*ノДノ)・゚・
「Smile」
頭が真っ白になった。
何も覚えていない。
でも、彼らの「祈り」は
この場所にいた私たち1人1人に
「ここにいたかった魂」1つ1つに
ちゃんと届いた。
演奏するメンバー、歌う藤原くん。
きっと怖かったよね。。
苦しかったよね。。
でも、届けるって決めてくれたんだよね。
そこには揺るがない「覚悟」が
あったように思います。
あの日あの場に居合わせた、
うまく手は繋げない、1人1人が
それぞれの想いで、彼らの「祈り」を
受け止めたんだと思います。
届いたよ。
だから真っ白。
何もない。真っ白。
ありがとう。・゚・(*ノДノ)・゚・
「Smile」
多分これからも飛ばしてしまうだろうと
思います。
でも少しずつ。。少しずつ。。
向き合えたらな
と思っています。
不快な気持ちにさせてしまったり、
心の傷を痛めてしまった方。
ごめんね。。