この言葉


子供の時に


あー!

もう、いっかんの終わりやん!


なんて、良くない事が起きた時使ってた気がするんだけど。


本当は、映画のフィルムの一巻きが終わる事を指すんだとか?


でも、わたし。


仏教からもきてるんじゃないのかなあ?と

思ってる。


というのも。


だいたい三部経からなってる

浄土真宗のお経本。


今日は、一巻にしてもらって

観無量寿経をお勤めして頂いたんだけど。


父がまだ元気で

母の法事の時に


三部経お願いしてて。


約2時間半くらいかかるんですよ。

すっごい、耐えないといけないというか。

お坊さんも声出すの大変だし

わたしたちも真面目に声に出したり。


父が亡くなってからは周りも高齢だったので

一巻にして頂いて。


で、一巻が終わるから

一巻の終わりってここからもきても良いんじゃない?と思ったりしている。


本当の語源なんて

何が正解でも良いんじゃないかな?

と。

😆


今日もありがたいお話もらって。


いつか死ぬけど

そこに辿り着くまでに、どういう生き方をするか?


というのが、結論だった。


お彼岸のお説法のお話

まとめて教えてくれたり


陰徳を積むってお話だったり。


父はどちらか、陰徳をたくさん積んだんだよね。

と、思い出したら泣けたり。


老子の話が出てきたり

ネイティブアメリカンの話が出てきたり

いじめに遭ってた霜降り明星のせいや?の話だったり。


こういうところが、たくさん見聞して

勉強する姿勢がある御住職だなあと

今日も学べて良かった。


家族が生けたお花。





わたしには、このセンスがないので

すごいなあといつも感心している。


生花10年くらい習ったのに

まとめられないし 上手にできない。


これもまた、比較してしまう癖。


自分の良いところ

伸ばすしかないんだけど。


でも、わたしもこの年齢になって

瞑想続けていて


もうなんか

人に認められんでも良いやんって

純粋に思えるようになったんだよね。


人に認められるために生きているのではない。


自分が納得する生き方できたら

それでいいじゃんと思って。


今日の、陰徳を積む話ではないけれど。


御住職も秋のお彼岸の法要のために

お寺周りをほぼ1人で綺麗にしたらしく。


草刈りやったり、木の剪定したりと

大忙しだったそう。

家族は手伝わなかったとかで。


自分がこれだけやった!

っていうのを人に知らせたいし

感謝されたいわけではないけれど

人に言いたいし

逆に人にも感謝したい!


そういう人間だ、と認めた上で


仏さんはそうじゃない

何をしようがしまいが

きちんと全部見ておるんよ


という教えを実体験を含めて教えてくれたという。


寄り添う仏教。素敵なお坊さんです。


結局のところ

老子もネイティブアメリカンも仏教も浄土真宗も

全部おんなじというところ。


という、答えをわたしと家族は得た。



そして、庭木や草の管理は大変ということ。

お寺は、先代の御住職が珍しい草木をコレクションされていたので管理が大変そうなのと


剪定頼んだら100万超えなんだって!


庭木の管理、わたしは今年から

きちんと家族に教えてもらおうと思う。


任せっきりだったので。


何にしてもお金がかかるのである。


そして、やっと父の甥っ子が米を取りに来て

代金を支払ってくれたので

お米のおじさんに持って行ったり。


蜂の巣の話をして

明日問い合わせしてみる予定。


今日の夜ご飯は


久しぶりの一太郎へ。






ここの、エビ巻きがおすすめです。

エビ🦐ぎっしり入ってる。


あと、鉄火巻きの海苔がすごく美味しかった。

マグロでなくて?みたいな。

もちろんマグロもですけど。


あんまり赤身も得意でない。

😝




帰りはゆめタウンに寄って

夜の散歩をして帰ってきた。


帰ったらいとこからLINEが来てたりして。


わたしが、こないだオバに詰め寄った話について

お詫びのLINEが来てた。


言いたい事言えなかったから

オバにLINEしてはっきり言ったの

気にしてたんだろう。


こうやって

言わなきゃいけない修行も

前よりもできるようになってきました。


我慢する

ストレスが溜まる

会いたくなくなる


の、繰り返しからも

卒業しなさいって事なんだろう。


何も言わない 言えない

自分からの卒業です。


これも、一巻の終わりにしたいな。