2023.4/25 ほぼ日サイト「今日のダーリン」より全文コピペ


ここから〜

・昨日は『会社はこれからどうなるのか』の岩井克人さんと「ほぼ日」25周年に向けての対談だった。ぼく自身がほんとうに恵まれているなぁと思うのは、どういう世界のどんな人とでも会えてきたということだ。「ほぼ日」という「場」をつくったというおかげもあるし、「ほぼ日の學校」を開いたおかげもある。だれかと会って、警戒心を解いて話をすることは、ほんとうに貴重でありがたい、うれしいことである。

大谷翔平選手が、引退した大選手からのインタビューで、「真剣に訊くけど、君はどこの惑星から来たんだい?」と冗談めかして質問されたときの答えがよかった。「ほんとうに日本の田舎というか、野球チームも少ないようなところでやっていたのですが、日本の人たちからしても、頑張ればこういうところでできるんだっていうのは、とてもよかったんじゃないかと思います」といった内容だ。それといっしょにするわけじゃないけれど、ほとんどの人がメジャーリーグで野球ができないように、ほとんどの人がだれにでも会って話を聞いたりはできない。ぼくは会って話せていて、しかも記録まで残っている。このことを考えていて、ふと亡父のことを思い出した。

ぼくの父は、1919年の生まれだから、いま生きていたら104歳という年齢になっているわけだ。子どものころに父親を失っていて、しかも長男だったから、語ってない苦労もたくさんしたことだろう。学校は義務教育の「新制中学」までで、そこから司法書士の資格を取ってそれを生業にしていた。仕事はまじめにやっていたが、とにかく酒飲みだった。たくさん話をしたというわけでもないけれど、ぼくが大人になってからは、たまにぽつんと、ちょっとうれしそうに「歴史に興味があってさ」だとか、「京都のお寺に行ってきて」だとか言い出すようになった。たくさんは話さなかった、ぼくも若かったので「へーえ、そうかい」とか適当にあしらっていた。いまになって、「歴史に興味があってさ」のことを、こんな息子じゃなくて、だれか話し相手になる友だちはいなかったのだろうか、残念だったなぁと思うのだ。いまの時代に、ぼくは「興味があってさぁ」ということを、たくさん話せる相手がいて、訊きたいことを訊ける人や、思わぬことを教えてくれる人たちがいるよ。「おとうちゃん」にも、そういうともだちがいたら、もっとたのしかっただろうなぁと、そう思ったのだ。



今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。いつもより4行多く書いてますが、そのままにしておきます。

〜ここまで


印象に残ったのは太字にしたところ


近頃の忌まわしい事件のニュースを見ながら

思う願う祈る


警戒心を解ける場や相手に

誰もが出会える世界になりますように

インターネットや新しい技術や科学が

平和や幸せのために活用されますように