セディナ貸切公演
先着発売だったので発売開始日に購入しました。
チケットを購入してから観劇までかなりの日数がありました。
 
劇場はよみうり大手町ホール
初めて行く場所ではあったけれど
駅直結だから簡単だと思っていたら
私が使った路線からはだいぶ離れていた。
いやー歩いたし、焦った。
近いと思い、余裕こいていたのが間違いだった。
 
 
 
 
 
出演者は7人。
観劇にあたり、シェイクスピアの『マクベス』を読んだけれど
シェイクスピアのほうが救いがあるように感じた。
 
『レディマクベス』を観劇後に感じたことは「救いがない。」でした。
軍人であった夫人(@天海祐希)、出産によって軍人への復帰が出来なくなった。
夫のことは愛していた。(と思っている)
だから自分が与えられる助言を夫に伝えて夫の出世のために生きた。
夫を愛していたから娘を生んだのだろうけれど
娘に対しての愛情は感じられなかった。
もし、出産後も軍人として復帰をしていたら夫人は娘を愛したかもしれないし
夫も心が壊れることはなかったかもしれない。
 
でも、夫は娘を愛していたように感じた。
夫も夫人を愛していたと思うが、夫人の存在は恐怖でもあったのだと思う。
戦時下という緊張状態で、軍人として最前線にいた。
敵味方に関わらず多くの人が死んでいく様子を見ていただろうし、自身も手を下しただろう。
そうしなければ、自分が死んでしまうから。
 
心が壊れてしまった夫を撃ったのは夫人であった。
夫は王となっていたので、王を殺した者が次の王となる。
前時代的な考え方ではあるが、考え方によって王になりたい者がなるのでいい方法なのかもしれない。
夫人は王となった。
王となり、戦争を指揮した。
かつては軍人として戦場に行き、その後は夫を支える立場となった。
ついに自身の声で軍隊を率いるところにまでいった。
だが、権力を持つことで何かが壊れたのだろう。
ラスト、娘が母親を撃った。
ただ、娘は王になりたかったようには思えなかった。
また父親の復讐や自分を愛してくれなかったことへの恨みではないように感じた。
娘も何かを壊したかったのではないだろうか?
それとも「今」に対する不満とか、自分の存在価値が見いだせないこととか。
 
 
マクベス邸での談話。
マクベス(@アダム・クーパー)・レディマクベス(@天海祐希)・娘(@吉川愛)
・マクダフ(@鈴木保奈美)・バンククォー(@要潤)・レノックス(@宮下今日子)
 
現王様であるダンカン(@栗原英雄)は
次期国王は、血縁者以外から後継者を選ぶと宣言した。
 
レディマクベスは王に興味がないように見せていたけれど
実際は「自分こそが次期国王に相応しい」と思っていたはず。
だけど、夫を次期国王にするように事を進めていた。
夫はこの時点で心は壊れていたけれど、まだ完全には壊れていなかった。

夫人にとって夫は操り人形のようにも思えた。

自身が戦場へ行けないのなら、夫が戦場に行き功績を残すことで

夫人自身が自分の存在を確かめていたように思えた。

 
この世界では王であることよりも王を操れることのほうが良さそう。
王になれば命を狙われる。
ゆっくり眠るためには王になってはダメ。
 
王のいとこであるマクダグは王にはなりたくなさそうだけど
今までの王族である特権を失うのは嫌な感じ。
夫人の生き方を否定しているようで羨ましいとも思っているのかな。
夫人とマクダフ、ピリピリした関係のようにも思えた。
全く違った生き方をしてきた2人、これからどうなるのか/どうするのかを
探り合っているようにも思えたし、喧嘩を売っているようにも思えた。
 
夫人の幼なじみバンクォーは夫人のことを知っているし
夫人も気を許している感じはしたが、食えない男である。
 
今も軍人であるレノックスに対して夫人は嫉妬しているように感じた。
戦場に行って戦えることだったり
戦場で夫と共に戦い、支えている。
かつての自分のポジションにいることに対して
少し羨ましいと思っているのでは。
 
現国王であるダンカンは暴君なのか?
悩みなく自由な感じがした。
王と夫人の関係も不思議。
 
名前があるのに、誰も名前を呼ばない。
「きみ」や「あなた」である。
それもまた不思議である。
親しい関係のように見えるけど、どこか距離がある。
互いに探り合いをしているようにも見える。
 
 
 
天海祐希さんを見たくて取りました。
その感想として「天海祐希は天海祐希だった」です。
オーラ、存在感がある。
ほかの出演者の方たちも存在感がありました。
派手な舞台装置、衣装、音楽はない。
人間同士の心理戦といった感じでしょうか。
 
見終わったあと、適度な疲労感がありました。
きっと集中していたのでしょう。
 
今まで見たことがない作品で出会いました。