みんな違ってみんないい、とか

これが私、他の誰でもない、とか、めちゃくちゃ使い古されていますよね。正直疲れちゃいますよね。知っとるわわしが他のやつと違うことくらい同じだったら気持ち悪いわボケ!

 

と、思いますけど、じゃあ具体的に「違った」らどんな風にいいんでしょうか。どうして人は「違う」ということを尊重するのでしょうか。人はもともと「違う」のにどうしてそこを強調するのでしょうか。

 

数ある答えの中から一つの答えが出た気がします。

 

今日はお世話になったジェンダー学の先生とおしゃべりしてきました。気づいたら1時間くらいいて引いた。自分どんだけ喋ったんだ。笑

 

日本人のアイデンティティー観について話していた時、「私は17の時に鬱っぽくなって不登校をして、その3ヶ月間で自分のことがよくわかった」と言ったら、

「あなたはその期間に自分が人とどう違うのか、ということを起点にして自分について考えたんだね」と言われてとてもハッとしました。

 

確かにあの3ヶ月間は私にとってとても大切な3ヶ月間で、あれがなかったら今の私はありません。自分とたくさん向き合う時間を手にできたと思いました。

 

でも起点は、「なぜ私は他の人と違ってこうなったのか」ということでした。言われてみればそうだ。

 

どうしてみんなと同じ制服を着て、同じ時間に学校に通って、経済レベルが同じくらいの友人と、同じように過ごしているのに自分だけ鬱になったんだろう。どうして学校に行きたくなくなっちゃったんだろう?それを解決することが復帰への道だったわけだし、それを考えたら自分の弱点が見えてきたのです。

 

自分はPMSだから生理前は食べ物とか体調に気をつけなければならない。生理中は自分を労らなければならない。

自分は寒さに弱いからみんなと同じ制服を着るならカイロを貼った方が良さそうだ。

頑張り始めると歯止めが利かなくなるタイプらしいから自分で管理したり誰かに止めてもらわなければならない。

 

「人とどう違うか」を真剣に考えて向き合うことで、自分を知ったのでした。

 

アイデンティティーの探求にはいろいろな方法があります。自分のことを説明しなければならなくなった時に、自分を知ろうとするかもしれません。

 

アイデンティティーが必要になる瞬間が、日本にいると少ない気がします。「違う」ってことが強調されてるくらい、日本はみんな同じなのです。

 

アメリカなんて、小さい頃から「どうして僕だけ肌が黒いんだろう」「どうして僕のお母さんだけ英語が話せないんだろう」と「違う」ことに遭遇してばかりなのだと思います。違うということを通して自分のことを、家族のことを知ろうとする機会が多いのです。

 

だからいいとか悪いとかじゃなくて、「違う」ということは素敵なことだし、ていうか違って当たり前だし、自分は何に対して激しく「違う」と感じ、どうして「違う」と考えるのか、と向き合うということが大事なんだなあと思いました。

 

 

 

このくらいの長さでどうでしょうか。