私は日本がジェンダーイシューにおいて遅れているのは言葉のせいだとばかり思っていました。

 

genderとsexを区別する日本語はなく、セックスという単語それ自体は性行為を彷彿とさせる。英語を中心に増えるジェンダーを表す単語や体に関する単語が日本語で存在しないか、固すぎる言葉である。訳があっても偏っている。英語に関しても遅れてる日本はどんどん遅れていってしまうなあ・・・どうにかできんものか、と常日頃思っています。

 

確かに日本語でジェンダーイシューを考えるには言葉がたりなすぎます。しかし、今日参加した「アライトレーニング」では「そんなこともないんじゃないか・・・・?」と思えることをたくさん発見しました。

 

*ところでアライ(Ally)とは

LGBTQIA+コミュニティーの人をサポートする人の総称。当事者でなくても、活動に賛同したり、存在を否定することなくコミュニティーを支えるアナタもアライの一人です。LGBTもLGBTQIA+という名前に変わってきていますが、AはAsexual(アセクシャル)とAllyの頭文字とされています。

 

今日のトレーニングでは、名札に名前とPGPを書きました。PGPはPreferred Gender Pronounの頭文字で、代名詞として何を使われたいか、ということ。

 

私の場合、gender identityはwomanなのでshe/herとなります。

これは日本語では大して問題ではありません。

 

日本語で会話をするときは基本的に主語がなく、第三者を指すときは名前を呼びます。

これは日本語の強みです。三人称で嫌な思いをすることなく会話をすることができます。

それと同時に弱みです。

英語ではPGPで自分のアイデンティティを表すことができます。しかし日本語ではわからないまま進んでいく可能性があります。

 

これは日本語完全悪ではないな、と思いました。悪もクソもねえが。

 

もう一つはQueerという単語です。

もともと、「おかしな、変な」という意味の単語。ある時代から当事者たちが自分たちのことを「Queer」と呼び始めたことから、差別的な意味を含んでいた時代を経て、今は性的少数者(という言葉はあまり好きではないのですが)の総称LGBTQIA+の一つにまで上り詰めました。単語カーストの階段登りまくってます。(ちなみにQはQuestioning:まだわからない人 の頭文字でもあります。)

 

私がqueerという単語に最初に出会ったのはジェンダーイシューについて調べていた時でした。

「クイアとは、ゲイやレズビアン、トランスジェンダーやバイセクシュアルに当てはまらない人」みたいな説明でした。ああいいなこの考え方、なるほどなって思いました。

つまり最初に出会った時の印象が「いい印象」だったのです。

 

しかし、大学2年の文学の授業でqueerという言葉は差別的と言われて非常に驚きました。第一印象って大切なんですね。

 

そして今日のイベントで「queerという単語はネガティブな響きが含まれている」ということが繰り返し話されました。

これはある意味「輸入」の強みなんじゃないかと思いました。かつてはネガティブだった言葉をネガティブな印象をつけずに新しい言葉として浸透させられるのは、英語ガラパゴスだからできることです。

 

でもそれっていいことばかりでもないなって思ったので本人に聞いてみたら「クイアと呼ばれることが嫌な人もいるってことも知ってほしい」と言っていました。

 

これはある意味弱みですね。この感覚は伝えるのがとっても難しい。年配の方やコミュニティーでも保守的な人はこの言葉を嫌うそうです。知識武装って大切ですね。

 

ジェンダーにまつわることはまだまだ発展途上。特に輸入の繰り返しである日本にとっては間違った知識も輸入されがちです。でも発展しきった文化や考え方ではないので、トライアンドエラーでいいんだなあ、と思いました。それから私も母国語を責めるのをやめようと思いました。英語以外の言語を話す者として、この枷をどう強みに変えていけるかを考えられたらいいなあと思います。

 

枷をつけた足をめちゃくちゃ鍛えたらそれで蹴って人殺せるもんね。

 

 

 

ところで土俵に女性が上がって行司がそれを下ろした件ですが、私は結構協会の肩を持ちます。

「女は不浄の生き物だ」という説明は結構しっくりきてるんです、個人的に。だって1ヶ月に一回ケツから血出してんだぜ?普通に考えて汚いだろ。笑 (穢れという言葉はよくないですね)

女人禁制の文化は明治時代に作られたものらしいのですが、国技としてそこを発展させてきたのだったら今回のコンテクストで「女性差別」を引っ張り上げてくるのはまた話が別なのではないでしょうか?問題だけど、喧嘩するのは今じゃない。

そんなことより「命を救おうとしている人を引き摺り下ろした」という事実が恐ろしいです。原因が性別だっただけで、まずそこがめちゃくちゃ問題。

女人禁制は決して差別ではないと思うので、アメリカにも「差別の象徴」とか言われるのはちょっと腹が立ちます。

 

 

しかし嫌な思いをした人は確実にいるわけだから、ごめんなさいして一旦落ち着こうみんな。

 

 

 

 

変なとこ保守的なのもまた問題なんだよなあ私。いまだにロックンロールはちんちん付いてないとやっちゃいけないと思ってるし。その話はまた今度ね。