「自分らしく、あなたらしく」という言葉が昔から少しよくわかりません。「らしさ」とは一体なんなのでしょうか。

 

アメリカに留学していても、日本のニュースサイトなどは目にするので、少し、日本の風も感じます。日本だけでなく、世界が全体的に「共生」に目が向いていると思います。

 

ここ最近で言うと、グレイテストショーマン。この映画は、「違う」ことを武器に人を楽しませる人たちがたくさん出てきます。

違ったっていい、自分らしく生きればいいんだ、そんな感想をたくさん目にしました。

 

なんとなく、違和感がありました。

そもそも違うっていうのはなんなんでしょうか。同じ人なんているんでしょうか。

 

違うとか、同じとか、普通とか、そういうことじゃない。

今の社会ではすこしだけ生きづらいことが多い人と、特にたくさんの生きづらさを感じない人が、なんの違いもなく楽しく暮らせる社会が目指すべき社会なんじゃないかなと。

 

 

先日、へきトラハウスというユーチューバーグループのメンバーの一人が「僕はADHDとアスペルガーです」という動画を出しました。すごくかっこよかった。

きっとものすごく賛否両論ある動画だったと思う。だけど、誰か一人でも勇気が持てる、誰か一人でも多くの人に知ってもらえる影響力のある人の行動だったと思います。

 

そしてつい昨日行われたR-1ぐらんぷりでは、濱田佑太郎さんという漫談師が優勝しました。彼はほぼ全盲で、盲学校あるあるネタなどで笑かしてました。

 

ちょっと話逸れるけど、普通に漫談でタイトル獲るのがかっこよかった!!!!日本には落語や漫談という「言葉」で笑かす素敵な文化があります。それを生かしたネタ、かっこよかったなあ。っていうか面白かった普通に笑った。

 

これも、嫌悪感がある人もいるかもしれない。

でもね、すべての人が満足する作品を作ることは不可能です。

嫌だと思う人が面白いと思う人を上回らない限り、どちらの行動もとても価値があり勇気がありかっこいいことだと思います。

 

なんか、時代が変わってきたんだなあと思いました。

白杖を持っていようがなかろうが、同じ芸人。メディアでまだあまり目にしていないからかもしれないけれども、「目が不自由なのに〜」みたいなコメントをあまり見かけない。素敵だなあと思いました。

 

 

ここアメリカは、障がいを持った人も生きづらさが少ない構造をしていることが多いです。大学内のほとんどすべての建物には自動ドアのボタンがついているし、白杖を持った人もよく見かけます。

ファインディングドリーのリリースからなんとなくabilityに関する意識は高まってる社会なのかなあと思いました。やっぱりカルチャーの流れはまるまる日本に来るんだよなあ。

 

だけど、日本が、これはもう完全に日本が、全然うまくシフトできていないことがあります。

 

 

ジェンダーの認識ですね。

明日は国際女性デーです。

 

 

そこのお前、自分らしくなんて生きるな。

お前を生きろ。

私も「わたし」を生きる。