京都駅で新幹線に乗ったのが6時半。東京駅から地下鉄九段坂下まで来て、靖国神社大鳥居下でご挨拶の礼をしたのが9時5分頃。
菊の御門前には,父や母の、私の、Mの知人や友達が連休後にも関わらず待っていて下さいました。
父の知人の方が昇殿参拝を事前に申し込まれていたので,神職の方に案内され本殿へ。 玉串を奉納させて頂きました。
このあと当然、遊就館へ参りますが、父から提案がありまして
「ここは懇談の場所ではありません。想いについても人それぞれでしょうから積もる話は控えて、各個に周ることにいたしませんか?」
その意見には大賛成。集合場所を一階の喫茶室に決めて散会します。
私がいつも立ち止まって、しばらく動けなくなるのは、遺骨などの収集団の方が持ち帰って下さった、ひしゃげた飯ごう、潰れた水筒などの、ボロボロの残骸が置いてあるコーナーです。
敵と戦う以外に,飢えや病気、負傷による苦しみなどとの闘いも…辛かったでしょうね。それでも私達のために戦って下さったのですね。… その思いは何度訪れても消えません。
そのことに想いを馳せると,心から生きていて欲しかった。そして有り難う…と,感謝の気持ちに涙が湧いてきて動けなくなります。
そう言えば前回来たときは花嫁人形の前でも動けなくなった……。
(死を覚悟しているからとお嫁さんを貰わずに戦死した若人のために作られた花嫁人形のことですね)
国の為、子、孫、愛する者を守るため、死を覚悟できたこれらの人々が全て生きていたなら、どれほど今の日本が違っていただろう。と思えてなりません。
日本の中・高等学校はどうして靖国や遊就館に来ずに韓国の戦争記念館を見物に行くのかしら?
中国・韓国の戦争記念館は、ありもしないこと、無かった残虐行為を捏造して、ひたすら日本に対する憎悪を掻き立てます。
それに比べて靖国神社、遊就館はただ先人に感謝をし慰霊をするところです。
敵に対する取り扱いは、憎悪はおろか,戦場にうち捨てられた敵兵を弔ったことさえも取り上げていません。
日本の教育者は、何故子供達が日本に誇りを持てなくする教育をするのでしょう?
彼らが遊就館を訪ねて、その売店に置いてある本をどれか一冊でも読めば、目から鱗が落ちることは請け合いなのですけれどね。
田母神閣下の本とか、そうそうRandomYOKOさんの新・愛国論がおいてありましたよ~。ヾ(^v^)k
さて、お昼は皆さんと一緒に椿山荘というホテルで会食です。
とても和やかに,親族Mに対するお心遣いも暖かく、そのせいかお昼からのシャンペンがとても効いてしまいました。
このホテルも7日の式日には、某省庁の会場になるのだそうです。
私達も7日はホテルでレセプションのあと、本省で伝達式に臨む予定。
ところで…本来、こういった文章は、作者は振り返って書いているのですから過去形で書くべきところ、なのですが,現在進行形や未来予想的な書き方までしています。
これは、時系列で書くその時点での私の心象風景なわけで,臨床感を出すためだと割り切ってお読み下さると読みやすくなる…かな?。
いずれにしても,紀行とは書きましたが,何らそのような形式は踏襲しておりませんのでお許しを。
ついでにですねぇ,一人称で(爆)は無いんじゃない。と思ってらっしゃる方。きっといらっしゃるでしょうね。
これはですねぇ 皆様と笑いを共有しているという意味での爆笑マークだとお考えくださいませ。
さて、
7日朝、母に起こされて先ずシャワーを浴びます。
隣室の男性達と連絡を取り,一緒に朝食に向かいます。
最近のホテルの多くは朝がゆを準備されているので嬉しいのですが、今日は帯を締めた後は、ほぼ一日の長丁場になるようなのでガッツリ系で頂きました。
部屋に帰り、もう一度歯磨き、おトイレを済ませて準備万端。美容室へ。
着付けをして頂きます。
いや~流石プロですね。母に着付けして貰ったときより帯がキツくない。
そのくせピシャリと決まっていて,我ながらほれぼれする大和撫子の美人さんです。
馬子にも衣装でございます。
美容室の方々も,「お嬢様程着映えなさると,着付け手伝わせて頂いてもやりがいがあります」なんて仰有います。プロですねー。
いえ私を褒めちぎることもそうなんですが(爆)「着付けを手伝わせて頂いても」というところにプロだなあ と感心させられました。 着せてやったなどとは微塵も思われてないのですね。 そういうお心遣いがあるのでお嬢様 と言われる痛みにも耐えられるのだワン。
部屋に帰るとMがモーニング姿で待っておりました。
胸には勲章を架けるための菊の模様がついた佩用金具が、金色に光っています。
母が「まあ、二人の結婚式みたいえ」
すかさず父のブスッとした声 「アホ言わんとき」
「そうよ。Mちゃんの奥に悪いよ」と私。
ぺろっと舌を出す母。
でも解るのよね。それぞれがどんな想いで言葉を口にしたのか。
母は娘の花嫁姿が見たい。父は娘をやりたくない。 私はMの奥に来たかったろうね。と。
そうこうしているうちに,本省から来られた現役の方々が会場の準備を整えて受付が始まります。
Mは早速入省同期の方と出会い、四方山話に花を咲かせますが、連れの私や女性のことは敢えて聞かないのが男のルールなんだそうです。
因みに同伴者の女性は全て令夫人で括られていましたが,女性が受章者で男性の同伴の場合はどう書かれるのかは聞き漏らしました。
(ただ,今回までの例では,女性受章者がそのご主人を伴ってきたことは、この省では無いそうです)
受章者と同伴者のそれぞれの印を付けて頂き,指定された席に着きます。
今日一日の行動予定が説明されたあと,本省が準備したバスで省の勲章伝達式会場に向かいます。
バスの座席も本省での席も指定されていて,ホテルで指定された席の儘、右に向きを変えて一列で進めば、奥から順番に指定された座席に座れるという仕組み。
良う考えてはる と思いました。
省の伝達式で思ったこと。
国旗に礼。国歌斉唱から始まります。
勲章の種類毎、大臣が勲記を読み上げ代表者に伝達します。
こう申し上げては本当に失礼なんですが,大臣って選挙で当選しなければ本当に民間のただのおっちゃんなんだな。と思いました。
まず、勲記の読み方が下手。声がでてない。「璽をおさせる」をジオサセルと読んだ。
祝辞の原稿を懐から出して棒読み。何で自分の心を言葉にしない。だから噛むんでしょ。
式で一番違和感を持ったのが,「代表が伝達されるとき全員が大きな拍手をして下さい」と言われたとき。
えっ!?我々の代表ってことは,その後ろには我々が居るわけで、それを拍手するのは自分で自分に拍手するのと同じ事じゃないの?。
学校の卒業生代表に卒業生は拍手しません。
競技で優勝したチームの代表が表彰されるとき、チームは気をつけをします。拍手するのは観客と優勝したチーム以外のチームです。
もし、場を盛り上げるためにそうしたかったのなら、そんな盛り上げ方は不要です。逆に静かで厳かであるべきではないでしょうか。
日本は世界でも礼式、諸制式の最も確立された礼節のある国家です。 いえ、でした。
親が知らないならせめて学校では「礼儀」くらい教えようよ。
チーム監督にもそういう事に無知な人が居て,その場でどうしたら良いか解らずウロウロするみっともない人がいます。
少なくとも官公庁は儀式についての常識を弁えてほしい。
この想いはMやそのお仲間も同じだったようで、「うちも情け無いこと考える奴が増えたなあ」という声が出ていたのがせめてもの慰めでした
。
さて、受章者の皆様は本省人事部職員の手で勲章を着けて頂き、私達は再びバスでホテルへ戻り,会食の席に着きます。
すると席には白地に菊のご紋がついた手提げが置いてあり,中に勲記の収められた筒と勲章の箱その他が入っています。
開けて名前を確認して下さい。という指示で筒を開けると、縦60センチ 横80センチぐらいの大きな勲記。
日本国天皇が勲章を授与するのだと記されています。
皇居において璽をおさせる
と書かれていて、中央に大日本国璽の印
さすがに、Mは嬉しそうですが、顔を引き締めております。
「何が嬉しいったって、陛下もそうだけどなあ、内閣総理大臣が安倍さんだろ。だからいいの。これが鳩山とか、管の名前で貰った奴らもいるわけよ。 そんな勲記貰っても嬉しいか?。値打ち0だろ」
いやいくらなんでも0って事にはならないんでしょうけど…けど、深く頷くりんごちゃんなのでありました。 よかったね。安倍さんで。
勲章は銀でできていて重みがあります。
上から見ると光を表すギザギザと真ん中の鏡(かな?)の部分が反射してキラッキラ。
「綺麗やネェ」 というと、
「まあ,思った以上だな」やて。
すなおやおへんねぇ。もっと手放しでワッと喜んだらよろしいのに。
さあ、この後は皇居で陛下に拝謁です。
バスは渋滞の中じわじわと皇居に向かいます。
この速度なら、しずしずと と書きたいところではありますけど(笑)
坂下門から入りますがこの先、写真撮影は一切禁止です。
宮殿東庭には先に来ていた他省庁のバスが数台停まっていて,私達の後からも逐次バスが入ってきます。
ここで勲章、褒章のまとめ
前記事にも書きましたが,秋の叙勲は11月3日、文化の日に正殿松の間で陛下自らお授けになる文化勲章親授式を始めとして、別の日に大勲位菊花大綬章 桐花大綬章 瑞宝大綬章 旭日大綬章が同じく松の間で親授式として行われます。
重光章の伝達は親授式の行われた日の午後「松風の間」に於いて総理大臣から勲記、勲章の伝達を受け、その後勲章を佩用し豊明殿で天皇陛下の拝謁に望むのだそうです。
文化勲章
旭日章
瑞宝章
写真は何れも大綬章
中綬章以下と褒章の伝達は関係省庁の指定した会場で大臣より伝達され、その後皇居の春秋の間において天皇陛下の拝謁に望みます。
ただし、褒章などの場合、省庁によっては都道府県知事から伝達されることもあるようで、その場合天皇陛下への拝謁はありません。
説明が前後しますが、叙勲では勲章と褒章が授与されます。
勲章の種類と授与基準ですが、詳細はWikiを見て頂くとして、
瑞宝章は 国及び公共団体の公務に従事して功績をあげた公務員に授与されます。
旭日章は 社会の様々な分野における顕著な功績を挙げた者
文化勲章は 文化の発達に関し特に顕著な功績のある方
一方、褒章については
紅綬褒章 自己の危難を顧みず人命の救助に尽力した方
緑綬褒章 長年にわたり社会に奉仕する活動(ボランティア活動)に従事し、顕著な実績を挙げた方
藍綬褒章 会社経営、各種団体での活動等を通じて、産業の振興、社会福祉の増進等に優れた業績を挙げた方
紺綬褒章 公益のため私財を寄附した方
黄綬褒章 農業、商業、工業等の業務に精励し、他の模範となるような技術や事績を有する方
紫綬褒章 科学技術分野における発明・発見や、学術及びスポーツ・芸術文化分野における優れた業績を挙げた方
となっています
紫綬褒章
メダルの真ん中の字は 褒章 と書かれています。
今日は全省庁の瑞宝章受章者が拝謁する日なのだとかで、 宮廷東庭に面している長和殿(新年一般参賀で皇族方が手を振られる建物です)の中にある春秋の間で拝謁します。
省庁の隔てなく,受章者は4列に,同伴者は3列に並び、列の中央が春の壁と秋の壁の中間に来る位置で停止。そこで左を向いて横列になると正面が陛下のお立ち台になります。同伴者の女性の列は受章者の後方5歩ぐらいの位置に並ぶように指示がありました。
つまりこの間を陛下がお歩きになる。ということです。運良くMは縦列の中央右列、私は縦列の中央左列にいたので、陛下のお立ち台正面に位置しました。
ご臨席を待つ間、侍従の方から春秋の間の説明がありましたが,何か凄い と思うばかりで頭に残っていません。春の絵は誰それ秋の絵は誰それ。カーペットはどうのこうの。
全然覚えてない。すみません。
やがて正面左側のガラス障子の引き戸が開けられ,侍従の先導で陛下、侍従長が入場なさいました
壇上に上がられた天皇陛下に、一同45度の最敬礼のお辞儀をします。
陛下の涼やかな声が室内をとおります。
「この度は受章お目出度う。これは皆さんが国家のため国民のため、また社会のために努力した功績によるものです。今後とも健康に気をつけて元気で過ごされることを祈ります」
お言葉を頂き一同礼。陛下は壇を降りられ向かって左に進まれます。
受章者の端を廻り同伴者との間をゆっくり礼を返されながら近づいて来られます。受章者が回れ右をしたので、丁度Mと私の間を通られる形になりました。私はまばたきもせず近寄ってこられる陛下を見ておりますと2メートル程のところで目が合ってしまいました。
あっと思いましたが顔も目も動きません。すると陛下が一瞬立ち止まられ、唇を微かに動かされたのです。私は頭が真っ白。視界も真っ白になりお辞儀も、通り過ぎられる陛下を目で追うことが出来ず立ち尽くしていました…。
我に返ったのは右奥から退出される直前。皆さんがお辞儀を始めたときでした。
唇が何と動いたかは畏れ多いので内緒です。
陛下が退出された後もボケーッとしていると、Mがやってきて「陛下が何か言われた?」と小声で聞きます。
「いえ,声は出されなかったけど唇が ”…………”と仰有られたの」
「それって、宝くじに当たるよりラッキーだぞ。あちらの車椅子の方も 身体のお加減をきかれたと言って感激されてたけど」
このあと集合写真を撮ってホテルで解散。
その後,今夜のディナーは我が両親の主催でささやかにMの祝宴を行いました。