知人の務める女子大が学祭をやるので、来て と言われて行って参りました。
女子大の学祭に行くと言っといたので、伯父と男子学生達も4人付いて参ります。
女子大って、何と申しますか…独特の雰囲気がありますよね。
女の私が言うのも何ですけれど。
ファッションが凄い。メイクが凄い。で、ゲストなんかもイケメンの誰かを呼んでトークショウだったり、モデルを呼んでファンタジーにどっぷりと浸る。 勿論それはお祭りだからこそで、普段は全く違う学生生活でしょうから、反動に近いものなのでしょうけれど。
知人と共に歩いていると,彼女に関係する学生が私達に目を付けて寄ってくるのです。
勿論目当ては知人の周りに居る、うちの男子学生達。
「よろしければご案内しましょうか?」なんて言われて連れ去られてしまいました。 もっとも彼らだってそれが目的で来てるのだものね。\(^O^)/
後で聞いたら「ゼミの研究室案内されたり、俺達の11月際に来て貰う約束した」とか言って喜んでました。
でも女子大って(此所だけかも知れませんが)上下関係が厳しいみたいで、背の高い格好いい3,4年の子は、何度か見に行った宝塚の男性役みたいな雰囲気で、下級生には威張ってると言うか,命令口調なんですよ。 喜々として甘える下級生見てると、女の園だなー。と思ったりします。
先輩さん、結婚してから旦那様にうっかりあんな口の利き方しなければいいのだけどなあ…と いらん心配してしまった。
知人が伯父をトイレに案内している間、模擬店で買ったたこ焼きを一人で食べてたら,二人連れの男性から、「美味しいですか?」と声をかけれらました。
「ええ、まあ」と答えたので、自分達も買うのかと思いきや「よかったらこの学校を案内してくれない?」だと。
「すみません。私、此所の者じゃないんですよ」 ここの 「学生では…」 と言えないところが痛いのですが,相手はその微妙なニュアンスに気付かず、なおも、 「あ、そうなんだ。どちらですか?ぼくら府大なんですが」と、追及の手を緩めない。
「あ…わたくしは…院で研究員してて…」 あーん(;。;) わたしゃあんたらよりも年上で、餓鬼にナンパされる対象じゃないんだよ…と言いたいのだが、うまく言葉が出てこない。
すると、「ここ,ミッション系の大学だから礼拝堂があるみたいなんですよ。見に行きませんか」と 中々押しが強い。
ここで可愛い女子学生なら「ホントですか」「見たーい」なんて言うんでしょうねぇ。
そう言えば 見回すと,結構な数の男性の姿が目に付きます。
彼氏を呼んで自慢するカップルとか,自分達の学祭に来て貰う子をナンパに来た奴らとか…。
なーるほど。 こうやって一人で座って食べてると、食ってる間は逃げられないし,自分の好感度をアピールするチャンスもあるし,絶好の標的になるのですね。
ようやく知人と伯父がケラケラ笑いながら帰ってくる姿をみつけたので、「あら,主人が帰ってきました」と言って伯父を指さしたら「えっマジ!すみません。独身だと思って」と言って消え去りましたが,帰ってきた二人に「ナンパされとったやろー」と笑いものにされてしまった。
そうそう,もう一人の叔父が言ってましたが、ある県立大の学祭では,女子大だった頃の名残で、毎年男装コンテストが行われているそうです。
今年のテーマは「告白」
男装した学生と普通の女の子がペアで3~5分程度のコントをして、その中で「告白」をするのですが、演技力が半端じゃない。のだとか。
面白かったせりふ。
「今から変なこと言うよ。結婚して下さい」
「私、もっと変なこと言うわね。はい。喜んで」
中には告白した途端に抱き合ってキスをしたりするカップルも居て会場が大歓声で湧く。と言っていました。
青春してますねー。
懐かしい…と思われたOG&OBの皆様。 と、そうで無い方も
11月は我が校も含めて,学祭が目白押しになります。
秋の日に、久しぶりに覗いて見られては如何でしょう。
青春は年と共に終わるのでは無く,青春が終わったと認識したときに終わるのだ。
追記
Samuel Ullmann(サミェル・ウルマン)YOUTH(青春の詩)の一節を意訳
YOUTH
Youth is not a time of life-it is a state of mind; it is a temper of the will,a quality of imagination, a vigor of the emotions, a predominance of courage over timidity, of the appetite for adventure over love ease.
No body grows only by merely living a number of years; peoples grow old only by deserting their ideals. Years wrinkle the skin, but to give up enthusiasm wrinkles the soul. Worry, doubt ,self-distrust, fear and despair-these are the long ,long years that bow the head and turn the growing spirit back to dust.
Whether seventy or sixteen, there is in every being's heart the love of wonder, the sweet amazement at the stars and the starlike things and thoughts, the undoubted challenge of events, the unfailling childlike appetite for what next, and the joy and the game of life.
So long as your heart receives messages of beauty, cheer, courage, grandeur and power from the earth, from man and from the Infinite so long as your young.
When the wires are all down and all the central place of your heart is covered with the snows of pessimism and the ice of cynicism, then you are grown old indeed and may God have mercy on your soul.
青春とは人生の一時期のことではなく心のあり方のことだ。
若くあるためには、創造力・強い意志・情熱・勇気が必要であり、安易(やすき)に就こうとする心を叱咤する冒険への希求がなければならない。
人間は年齢(とし)を重ねた時老いるのではない。理想をなくした時老いるのである。
歳月は人間の皮膚に皺を刻むが情熱の消失は心に皺を作る。
悩みや疑い・不安や恐怖・失望、これらのものこそ若さを消滅させ、雲ひとつない空のような心をだいなしにしてしまう元凶である。
六十歳になろうと十六歳であろうと人間は、驚きへの憧憬・夜空に輝く星座の煌きにも似た事象や思想に対する敬愛・何かに挑戦する心・子供のような探究心・人生の喜びとそれに対する興味を変わらず胸に抱くことができる。
人間は信念とともに若くあり、疑念とともに老いる。
自信とともに若くあり、恐怖とともに老いる。
希望ある限り人間は若く、失望とともに老いるのである。
自然や神仏や他者から、美しさや喜び・勇気や力などを感じ取ることができる限り、その人は若いのだ。
感性を失い、心が皮肉に被われ、嘆きや悲しみに閉ざされる時、人間は真に老いるのである。
そのような人は神のあわれみを乞うしかない。