私は、4人兄弟の長女として生まれた。長女と言っても、上から2番目、他3人は男の兄弟。私一人、紅一点として育ってきた。

 

とは言いつつ、私の記憶の中では「女の子」として扱われた記憶はない。

男兄弟の中で勇ましく、むしろ3兄弟の中で一番勇ましく、男らしく育ったと思う。


 

私の幼少期は、最悪だった。正確に言うと、最悪だったと思い始めたのは大人になってから。友達や周りの家庭環境を知っていくうちに、「最悪だった」と悟った。


 

私は、幼い頃から人の顔色を伺う子だった。

相手が喜んでいるか、嫌がっているか、ちょっとした些細な感情の変化でさえも即座にキャッチしていた。



 

うちに住む大人たちは、とにかく仲が悪かった。当時は、母方の祖父母、両親、兄弟4人の8人で暮らしていたが、祖父母は完全なる家庭内別居。

そして父は単身赴任で週末しかいなかった。


 

今の世の中であれば別に珍しくもないかもしれないが、25年ほど前の当時はそんな「家庭内別居」なんぞ言う言葉も浸透していなかったので、近所からはちょっと理解されていないようだった。

 

単に家庭内別居と言うと、別々に暮らすだけだと思われるかもしれないが、うちの場合は違った。

二人がたまたま顔を合わせると、それだけで罵声が飛び交うほどだった。

 

家の中で顔を合わせてしまうなんて、仕方のないことだと思うかもしれないが、私たちはそれを避けるべく、2歳下の弟とともに毎日パトロールに勤めていた。

 

いつものように、私たち兄弟は平和に遊んでいる。と、突然、

 

「ガタガタ」

 

2階の祖父の部屋からドアを開ける音がする。その途端、

 

「行くぞ」

 

警告アラームが鳴り出したかのように、私と弟は即座に出動する。

 

当時私たちは幼稚園ぐらいだったと思う。当然、レシーバーやインカムなどあるはずがない。

 

ただ、私たちの行動に迷いはないのだ。

 

弟は祖父が降りてくる前にダッシュで2階へ上がり、私は祖母がキッチンにいないか見回りにいく。

 

何をするのか。

 

そう、「時間つぶし」と「誘導」だ。

祖父母が顔を合わせないよう、二人の喧嘩を見なくて済むよう、私たちは「事故」を未然に防ぐパトロールに毎日勤めていた。

 

私は祖母がリビングやキッチンにいないか確認し、いた場合には即座に祖母の部屋へ誘導する。その間に弟は、祖父が1階へ降りないよう時間つぶしをするのだ。

 

「じぃちゃん、割り箸の鉄砲作ってよ」

「ばぁちゃん、あっちの部屋であやとり教えて」

 

幼稚園児の頭で考えられる全ての知恵を使い、とにかく1秒でも長く時間を潰し、1秒でも早い誘導に務めた。

 

祖父母のトイレやお風呂で鉢合わせにならないよう、2人のスケジュールもしっかり頭に入れている。

 

誰に教えてもらったのか、そしていつからその任務についたのか、そんなことは全く覚えていなかったが、私たちのそれはとても自然で、手慣れたものだった。

 

よく考えるとおかしな幼稚園児。でも、私たちは毎日真剣だった。

 

ただ、時にはその任務が失敗することもあった。


 

そう、絶対にあってはならない祖父母の「鉢合わせ」。


 

私たち兄弟にとってこれは、完全に任務失敗。あと1秒早く気づけたら、なんて、悔やんでも後の祭りだった。

 

私たちは祖父母の言い争いの場から逃げることもできず、ただ固まることしかできなかった。


 

そんな幼少期を送ってきたのである。



 

私の家は、常に大人達の喧嘩が絶えなかった。

 

私は喧嘩を見るのがいやで、いやで、いやで、本当はすごく辛かった。本当は、仲良くしてほしかった。

 

仲良くしなくても、喧嘩だけはやめて欲しかった。


 

その理由は、ただ単に、怒っている姿を見ると嫌な気持ちになるから、だと思っていた。

 

でも、その根底に眠る本当の理由は、

 

喧嘩の原因が私たちにあると思ってたから、

 

だということがわかった。


 

大人になった今なら、喧嘩の原因はその当人にあると分かる。

 

ただ、幼少期の私たちは、鉢合わせにしてしまった私たちに原因があると思っていた。

そして、喧嘩の内容に私たちが含まれていた、というのも大きく影響している。




 

祖母はよく私たちを叱った。ちょっとしたいたずらが原因だと思うが、とにかくよく叱られた。その叱り方がとてつもなく怖かったのをよく覚えている。

 

祖母の部屋に飾ってあった般若面の記憶もあってか、祖母は本気で怒り狂った般若だと思っていたほどだ。


 

そしてその叱っている声を聞きつけて、祖父が祖母に怒る。すると一気に罵声が飛び交う。

 

このルーティーンもよくあった。




 

喧嘩の原因が子供にあると、子供は自分のせいだと感じる。

 

だから、辛いのだ。

 

謝っても、謝っても、いくら泣いて謝っても、一度始まった喧嘩はすぐに終わらない。


 

私のせいで、喧嘩してしまった。また、私のせいで。

 

私なんかがいなかったら、二人は喧嘩しないのに。

 

ごめんなさい。

 

ごめんなさい。



 

そうやって、自分の存在にさえ罪悪感を抱えながら暮らしていた。


 

だから私たちは、大人たちが喧嘩に発展しないよう、大人たちの顔色を伺い、そしていつの間にか弟とのパトロールが始まったのだ。

 

大人たちの顔色を見て喧嘩になりそうな雰囲気と察知すると、私たちが唐突におちゃらけて笑いを取ったり、話をそらしたり。


 

本当によくできた子だった。



 

あの時、本当は、


 

大丈夫。あなたのせいじゃないよ。


 

って、かばってほしかった。


 

大丈夫だから、心配しないで。辛かったね。

 

って言ってほしかった。



 

また始まったよ、って喧嘩を見て見ないふりをしていた母親に、

本当は言ってほしかった。抱きしめてほしかった。



 

だから私は今、幼い私をかばってあげる。


 

幼いながらに責めていた幼い頃の私と弟を、今、思いっきり抱きしめてあげる。



 

辛かったね。でも、もう大丈夫だよ。よく頑張ったね。







 

少しだけ、幼い私が泣き止んだ気がする。