野口雨情直筆作品 | 青森の鉛筆

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青海林檎です青林檎

今、青森県平内町の日光院から、熱いニュースが届いています(文学的な意味で)

野口雨情の作品、平内に(東奥日報 より)ルームシューズ

「赤い靴」の作詞など、日本を代表する童謡詩人・野口雨情の直筆作品が、平内町小湊の神社・日光院に残っていたことが15日、分かった。日光院は、明治から昭和にかけて活躍した経済学者で英文筆家・佐々木多門の生家。多門研究家の佐々木紀人さん(外ケ浜町蟹田中教諭)によると、多門の長男で童謡童話作家だった高明に贈られたものという。作品を鑑定した雨情研究家の清水常光さん(茨城県)は「青森県内で雨情作品が見つかるのは初めて。(高明は)雨情から指導を受け、親密な関係だったようだ」と話している。

作品は短冊と色紙に書かれた計4点。「雲雀(ひばり)」や「象」など雨情の童謡に用いられる語句や、特徴的な繰り返し表現が使われている。野口雨情記念館(茨城県)の元館長で、雨情の作品を数多く見てきた清水さんは「特徴的な筆遣いが一致している」ことから、真筆と判断した。

高明は1902(明治35)年に仙台に生まれ、病気のため34(昭和9)年、31歳の若さで亡くなった。20代前半から児童雑誌に作品を投稿しており、雨情が選者を務めていた「金の船」(後の「金の星」)にも作品が掲載された。紀人さんは「高明の投稿作品が雨情の目に留まり、交流していたのでは」とみている。

今回発見された作品は30(昭和5)年、雨情が高明や多門の住む東京の佐々木邸を訪ね、置いていったものとされる。

その時の様子を、紀人さんの祖父で多門の書生だった佐々木高精(たかきよ)が見ていたといい、高明や多門の死後、高精が作品を平内に持ち帰っていた。紀人さんはそのように聞いているという。

近年の紀人さんの多門研究の過程で、日光院に残っていた作品を調査したところ、雨情の貴重な直筆の作品であることが分かった。日光院ではこれまで、多門が私設顧問を務めた高橋是清(首相、蔵相などを歴任)の直筆書簡の存在も確認されている。

紀人さんは「多門研究における度重なる発見に驚いている。今後は雨情との関係など高明の業績も解明していきたい」と話している。(本文より)

野口雨情は、「赤い靴」の作詞家として有名な人ですルームシューズ

発見の詳しい経緯は、東奥日報の記事にありますが、日光院からは高橋是清の書簡も発見されているので、まだまだ面白い資料が眠っているのではないのか…と期待してしまいます

参考サイト下矢印

野口雨情の作品、平内に(東奥日報 より)ルームシューズ

高橋是清書簡

神明宮(日光院)鳥居