皆さん、こんにちは
青海林檎です
今日は、昨日に引き続いて、歴史の話をしたいと思います。
津軽地方一帯を支配していた津軽氏ですが、京都近衛家と縁がある(といっても、家系図上だけの話で、しかも戦国時代末期になってからですが)ため、近衛家紋の「牡丹」を使用していました
ただ、比較的多く使われていた家紋は「卍」です
古くからの家紋であるらしく、戦場での旗印として多用されていたようです
他にも、「錫杖」や「輪宝」(どちらも修験の道具)の紋や、黒石津軽家では「亞」(フツと読みます。勧善懲悪とか怨敵退散の意)の紋が使われていました
なんだか、仏教チックな雰囲気です。
ちなみに、旗印の「卍」は、現在の弘前市の市章として使われています。
弘前市を歩くと、パンフレットやマンホールの蓋など、色んなところで「卍」を見ることが出来ます
ただし、あのドイツの「ハーケンクロイツ」よく似ている(よく見ると違うのですが)せいか、市役所の方にドイツ人からの苦情がよく来るそうです。
大学の教授から聞きました
苦情が来た際は、丁寧に説明して、理解いただいてるそうです。
津軽の卍のほうが、遥かに由緒正しいですからね
参考サイト
武家の家紋-津軽氏 (卍その他の家紋について、詳しい説明が載っています)
弘前市役所HP (市章「卍」が載っています)
Wikipedia-ハーケンクロイツ (よく見ると違いがあります。ヒントは、「左か右か」です)