弘前城の歴史 | 青森の鉛筆

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今日は、弘前城についてです城


現在の弘前市周辺は、戦国時代までは「高岡(もしくは、鷹岡)」と呼ばれていました。


江戸時代に入り、津軽藩(弘前藩)が成立すると、弘前城の築城が開始され、高岡の地名も、弘前に変更になりました。


1611年に城は完成したのですが、当時の弘前城の天守閣は5層建てでした桜





ところが、16年後の1627年、天守閣に雷が落ち、火事で焼け落ちてしまいました雷


当時、津軽平野の開発が始まったばかりで、天守閣が1番高い建物だったのです東京タワー


以後、なかなか天守閣再建の目処が立たず、現在の天守閣が出来たのは、それから200年後のことです。


ちなみに、再建された天守閣は、雷を警戒してか、3層建てに変更されてましたあせる


この3層天守閣は、現在も残っており、重要文化財に指定されています(東北の城は、戊辰戦争の影響で、ほとんど残ってないのです)。


ぱっと見、随分小柄な天守閣ですが(笑い)、桜が満開の時期になると、桜と共に夜はライトアップされ、とても素敵な雰囲気です星空





参考サイト下矢印


城めぐ.com(弘前城)





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