皆さん、こんにちは
青海林檎です
今日は、青森りんごの歴史最終回です。
平成2年、元年産りんごの販売額が1,093億円と初めて1,000億円を突破しました。
平成3年は、台風19号の影響で、741億7千万円の被害が出ました。そのため、同年、天災融資法の発動及び激甚災害法の適用がなされ、県が「園地再生特別緊急対策事業及び落果りんご対策事業」を行いました。
そのおかげか、平成4年の収穫は平年並みとなっています。
平成5年、ニュージーランド産りんごの輸入が解禁され、平成6年、ニュージーランド産りんごが輸入されています。
同平成6年、アメリカ産りんごの輸入が解禁となり、平成7年、輸入されています。
同時に、県産りんごがニュージーランドとアメリカに輸出されています。
この後、平成9年にはフランス産りんご、平成10年にはオーストラリア産りんごが輸入解禁となっています。
平成12年、ふじ発祥の地・藤崎町で「ふじ生誕60周年感謝祭」が行われました。
平成13年は、「21世紀青森りんご行動計画」が策定されましたが、凍霜害も発生し、被害額84億1千万円となる、凍霜害としては過去最大の規模の被害が出ました。
平成14年、一部農家で、無許可農薬が使われていたりしました。
平成18年、台湾政府がモモシンクイガについて検疫措置をスタートさせています。
同年、青森県果樹農業振興計画が策定され、青森りんごグランドデザイン構想を作成、「日本一の高級りんご生産で販売額1千億円の復活!」が提唱されました。
平成19年、暖冬となったため雪害の影響はほとんどありませんでした。
同年、県はりんご経営安定対策事業を創設し、台湾向けを中心に18年産りんご輸出量が過去最高、販売額911億円を達成しました。
次々と輸入解禁が行われ、青森りんごのライバルが増えつつあるようです。
平成のりんごの歴史については