リンゴの歴史~大正時代~ | 青森の鉛筆

青森の鉛筆

青森に関するつれづれをかきます。
おもしぇーはんで、みでけろじゃー(^_^)/

皆さん、こんにちはニコニコ

青海林檎です青林檎

今日も、前回に引き続き、青森りんごの歴史です。





大正に入ると、りんごの病原菌の研究やボルドー液の散布が、積極的に行われるようになりました。

大正5年からは、苹果減収の原因究明が行われるようになりましたが、明治43年から大正6年まで生産恐慌により、りんご農園が約2,000ヘクタールも廃園されてしまいました。

その生産恐慌も、翌大正7年には収束に向かいました。

大正10年、青森県のりんご栽培指導者農林技師を欧米に派遣し、りんご研究が更に進みましたが、大正14年、生産過剰によりりんごの株価が暴落してしまいました。

大正15年には、
青森県りんご生産同業組合と青森県りんご移出同業組合が設立され、りんごの自治検査が行われるようになりました。

大正時代は、第1次世界大戦が起こった時代です。青森のりんご生産も順風満帆とはいえない状況になっていました。





青森のりんごの歴史は下矢印

青森りんごの歴史:大正-青森県庁ホームページ