林檎の母⇒希少癌(日本でも10年に1人ほど)で、足を切断、頭蓋骨が癌細胞で割れ、腕、肺は切除。
歯茎も癌で駆逐され抜け落ち壮絶に闘病で52歳(当時:林檎25歳で)他界
林檎「お久しぶり~!」
祖母とは1年に1,2回会う。
林檎「80歳で百貨店の家具祭典を見に電車を乗ってくるとは元気だねぇ」
祖母「ほんまに!まだまだ頑張る!」
祖母は母(6歳)、叔父(3歳)
31歳の時に夫(林檎の祖父)を亡くし、女で一つで教師をしながら子供を育て抜いた。
祖母「林檎叔父の家に最近、月の半分以上は住み移ってるねん」
叔父は10年前に離婚。
叔父の子供2人も就職して20代半ばの社会人。
林檎「いいんじゃない?」
ぼけたら社長業が忙しい叔父は介護は無理!老人ホームだろうけど
10年間、叔父の家に毎日、夕食と洗濯をしに行ってた
祖母「林檎は子供は?」
林檎「夫婦ともに問題があって、顕微授精。試験管ベイビーを作成しようとしてんけど。あかんかった」
※体外、顕微授精は試験管ベイビーと呼ばれた時代があり。60代以上にはこの強烈な言葉の方が伝わる
5年間、祖母はずっとひ孫の件を聞きたいそぶりはあったが
聞かれることはなかった
祖母「初めから(子供)が居なかったら、それはそれで寂しくならないけど。2人は子供がいるほうがいいよ。1人死んでも、まだ、1人残ってる」
娘を亡くし、泣いた祖母には言い返さない。
林檎「そうだねぇ。1年(不妊治療を)お休みして、また、試験管ベビーを作るわ」
林檎邸は顕微授精でしか生まれる可能性はない。
祖母「30歳までに産まなあかんよ」
林檎「もう過ぎてるわ!」
祖母「え!そうかー!そんな歳か」
林檎「そんなお歳よ」
祖母「歳いったなぁ20代はとうに過ぎ去ってたか。不妊治療しても体は壊してないんか?」
林檎「1回、病院かえたら寝込んだけど浮上したよ?」
祖母「あちゃー。寝込んだんか知らんかったそれはえらいこっちゃ。・・・向こうのお母さん(林檎の姑)はなんも言わんの?」
林檎「言わないよ。息子に問題あるし、言えないんちゃう?」
言われたら、気楽に托卵するのにね
祖母「どうにかこうにか。(子供)2人。夫にも娘にも先立たれて、地獄落ちても蘇れるのは、やっぱり生き残ってる息子と。子供が残した孫なひ孫」
林檎「そうだね」
祖母「初めから、いなかったら。寂しくもないんやけどな」
林檎「せやなぁ。けど(母が)おらんかったら、私も林檎姉もひ孫(林檎姉の息子)もこの世におらんで?過程があっての結果やん?」
祖母「そやなぁ」
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至極気に入り、祖母に買ってもらいました🌸
ソファーにゴロゴロしながら半年〜1年後にもっかい、採卵、顕微授精、移植をしようかな