ごみ袋の思い出 | さんきちの日々ファイル

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ごくごく普通の日常です。

ごみ捨てに使う袋は、市が指定するビニール袋を

使わなければなりません。

年末にちょっと多めに購入し、ストックしています。

家の中をすっきり断捨離しなければ・・・。

 

このごみ袋を見ると、思い出すことがあります。

平成の時代、私の住む地域に土石流災害が起きました。

近くに大きな河川があるので、災害が起こるとしたら

水害だろうと言われていましたが・・・山が崩れるとは。

それだけ尋常じゃない雨量だったんですね。

 

避難勧告が出て、近くの小学校体育館に子どもを連れて

避難しました。

行くとすでに体育館は満杯。仕方なく玄関のエントランスに

段ボールを敷いて一晩過ごしました。

 

いやあ・・・硬い床の上に段ボール、敷いただけでも

マシと思わねば。しかし眠れるわけはなく・・・。

 

翌日には自宅に帰りました。幸いなことに床下浸水で済んだので。

しかし流れてきた汚泥というのかな・・・すごい悪臭。

これは早くかきださないと!というわけで、

慣れないスコップ持って、庭に溜まった汚泥をすくっては、

土嚢袋に入れました。

夏の暑い時期だったので、少し休んでは作業、休んでまた作業。

親戚が貸してくれた軽トラの荷台に積んで、義父の運転で

臨時集積場に運びました。

 

庭には汚泥だけではなく、

近所のお店から流れてきたと思われる缶ジュースがゴロゴロ。

子どもに絶対空けちゃダメ!と言い聞かせました。

 

結構な労力を使いましたが、ウチより被害が大きかった

家の人はもっと大変でした。床上浸水や流木などなど。

 

そこで当然のことながら、家財ごみが発生します。

 

しかし、圧倒的にごみ袋が足りません。

災害が起こるなんて予想していなかったので、

ごみ袋をたくさん買い置きしていないもの。

ウチもストックを分けてあげたりしましたが、

全部差し上げるわけにはいかないし。

うーん・・・と考えていたところ、

避難先の小学校体育館の様子が頭に浮かびました。

 

市役所の職員が何名か常駐し、援助物資を配布していたな・・・

段ボールいっぱいに確かごみ袋が・・・

 

さっそく避難先に走り、顔見知りの職員さんをつかまえて

ごみ袋を分けてもらえないか交渉してみました。

 

ところが

 

できません、と言われてしまったんですよ。

 

避難所のために使う物資だから。

 

でも、浸水した家の片付けでどんどんごみが出てくるわけで。

 

自分で調達すればと思うけれど、

近くにスーパーがない過疎地域。

唯一の雑貨店も被害に遭ってしまって。

車もないお年寄りもいるし。

当時の私はペーパードライバーだし・・・。

車両通行止めはなかなか解除にならないし。

 

うーん。

 

しばし考えあぐねていたところ、頭上に裸電球がピカーン。

 

公民館へ行こう!

知り合いがいるし、なんとか少しでも分けてもらおう。

 

公民館に行くと、公民館職員は出払っていて不在でした。

(公民館職員は地元とは限らないのです)

しかし、その時常駐していた市役所の職員〇〇さんは、

地元の顔というか、ちょっとエライ人で(笑)

顔見知りでした。

 

「〇〇さん!実はかくかくしかじか・・・

小学校の避難所で△△さんにお願いしたけど

ダメって言われてねぇ・・・」

「なんだって!そんなこと言われたのか!△△さんってば・・・。

よし、わかった!ここにも支援物資のごみ袋があるから

好きなだけ持っていきなさい」

「あ、でも、〇〇さんにご迷惑がかかりません?」

「必要な人がいるんでしょ?いいよ、いいよ」

 

もってけドロボーというお決まりのギャグが聞こえたのは

空耳でしょうか・・・?

 

市役所のちょっとエライ職員さんのおかげで、私はごみ袋を

抱えきれるだけ抱えて公民館をあとにしました。

 

被災したご近所をまわり、なんとかごみ袋を配布したのですが、

エライ職員さんに迷惑をかけてはいけないので、

袋の出どころは聞かれてもはぐらかし・・・(笑)

 

そのうち避難所のボランティアをすることになり、

その夏は自宅と避難所を往復していました。

日に灼けましたわぁ。

 

ごみ袋を見るたびに、あの夏を思い出します。

 

そうそう、あれから時は流れて

ごみ袋を分けてくれた

市役所のちょっとエライ職員さんは

部長職を経て

市会議員さんになりました。