元禄15年12月14日(1703年1月30日)に、赤穂浪士が吉良邸に討ち入った事件について、江戸から近江国(今の滋賀県)に伝えたとみられる書簡がみつかった。滋賀県日野町の近江日野商人館で来年1月5日から複製資料が公開される。行商中の近江商人が討ち入り直後に知り得た情報をかき集めて本宅へ宛てた書簡とみられ、浪士の数を170~180人とするなど誤りもみられた。同館は「誤報を含むさまざまな情報が錯(さく)綜(そう)する様子が生々しく伝わってくる貴重な資料」としている。
書簡(縦20センチ、横30センチ)は、関東で造り酒屋を営んだ旧商家の所蔵資料の中からみつかった。日付は「十二月十五日」と記され、内容などから、12月14日深夜から15日未明にかけてあった赤穂浪士の吉良邸討ち入り事件の直後に書かれたとみられる。差出人や宛先などはなかった。
書簡では、午前2時ごろ、吉良上野介(こうずけのすけ)邸に集結した浪士が太鼓を打ち鳴らし「火事だ」と触れ回った。内通者が邸内から門を開け浪士170~180人が乱入。上野介を討ち取ると、その首を主君・浅野内匠頭(たくみのかみ)の墓前に持っていった,エルメスバーキン 30センチ。浪士は全員白装束だった-などと書きとめている。
浪士の人数や服装、「太鼓を打った」など、のちにわかった史実と異なる部分もあるが、伝聞や噂が錯綜する中で情報をかき集めた生々しさが伝わってくる。
浪士の行為について、江戸市中は「いさぎよい」との評判だと伝える一方、筆者は「自分は善悪の判断がつかない」と記している。
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