先日、演奏会でなつかしい詩に出会った。

私の目を消せ 私にはあなたが見える
私の耳をふさげ それでも私はあなたを聴くことができる
足がなくても あなたのもとへ行ける
口がなくても あなたを呼びさますことができる
私の腕を折れ 私は手でするように
私の心臓で あなたを抱く
心臓がふさがれたなら 代わりに私の脳が脈打つだろう
そしてあなたが私の脳に炎を投げ込んだなら
私は私の血であなたを担うだろう


リルケの「巡礼の書」。

初対面のときは、暗い激しさにギョッとしたものだ。
神さまが相手なのだから、もっと丁寧な言葉に訳すべきなのかもしれない。
でも、私が出会った茅野訳はもっと激しかった。
そもそも、原詩がやわらかくはない。

久しぶりに会った彼は英語に変身して、バーンスタインのメロディーをまとっていた。

私は以前、リルケが嫌いだった。
なんだか、彼岸に埋没するみたいな彼の姿勢が許せない気がしたのだ。

今、読み返してみると、なぜだろう。
昔のような嫌悪感は沸いてこない。

こうやって、知らず知らずに、人は曲がり角を曲がっていくんだな、きっと。