自分の中に

 

何か"問い"や"疑問"を持ったとき

 

 

あなたは、その"答え"が欲しいですか?

 

 

 

もしYESなら、

 

では、その"答え"をどうやって得ようとするのでしょうか?

 

 

 

そして、その時に

 

自分は何故それを疑問に思い

何故、その答えを探そうとしているのか

 

そのこと、考えたことありますか?

 

 

 

 

昔から、「勉強好きだよね」って言われるんですが

 

どうもこの「勉強」という言葉に反応してしまって

(いわゆる学校のお勉強な感じとして、受け止めてしまうようです)

 

「いえ、"勉強"というより

 "探求"、"研究"好きなんだと思います!」

 

 

といちいち、余計なこと返しておりました。。

 

 

 

さて、その答えをどこから得るのか。

 

人に聞いたり、

グーグル先生に頼ったり、

本読んでみたり、

 

いろいろ方法はありますね。

 

 

 

すると、そこには色んな答えが存在しませんか?

 

 

 

 

そうなんです。

答えはひとつではないんです。

 

 

もっとぶっちゃけて言うと

答えなんてないんです。

 

あなたの求めている答えはそこにはない。

 

 

 

何故ならば、

 

あなたの求めている答えは、あなたしか知らないからです。

あなたの中に答えがあるんです。

 

 

 

じゃあ、どうやってその答えを見つける?

 

それは、

 

 

 

自分は何故それを疑問に思い

何故、その答えを探そうとしているのか

 

 

ってところが分からないと、見つけようもないですよ。

 

 

 

 

 

今までの学校教育で

 

答えは先生から教えてもらうものだと思いこんでる。

答えはひとつだと思いこんでる。

 

 

もうこれは、

わんこの脳(無意識脳)に埋め込まれた

まさに無意識の反応です。

 

 

これにより、悩みが増すことにも氣付かないで。

 

 

 

 

人から聞くことも

グーグル先生で見つけたことも

 

"答え"ではなくて、

"答えを出す"ための"材料"です。

 

 

その"材料"を

煮てもいいし、焼いてもいいし、生でもいい。

 

 

 

 

答えはないのです。

ないと言うことは、無限にあるということです。

 

 

 

 

 

これからの教育は

 

答えなんて教えなくていい。

答えの探し方を、教えればいい。

 

 

 

 

 

そうすることで、無限の可能性が広がると思うから。

 


 

 

さくらはそろそろかな。

今日の東京は雨です。