昨日の「学校をつくろう♪」と思った経緯(その1)の中で

http://ameblo.jp/ringa-bell/entry-12222721044.html

 

 

他のみんなと同じような結果が出せなくて落ち込む

なので余計に氣分が乗らず、行動に移せなくて、結果がでない。

のループにはまるのは

 

決して、わたしだけじゃないな

 

 

とすると、そこを抜け出すことが出来れば

それはまたわたしのリソース(資源)になる

 

 

と考えたわけです。

 

 

 

そこから、掘り下げていったら・・・

 

 

抜け出す秘訣は

 

実はとても難しい(と思いこんでいる)ことだけど、

本当はとても簡単なことだった。

 

 

 

それは

 

「妥協してんぢゃねーよ\(*`∧´)/」

 

 

って、ことに氣付くことだったんですね。

 

 

 

 

そして、わたしの『妥協の臨界点』『希望の臨界点』を見つめ直してみた。

 

そうすると、意外なことに

好きなことでも、興味があることでも、まだ『妥協の臨界点』だった。

いわゆる「まぁまぁ満足=良」のステージのものだったってこと。

だから周りが

 

氣になる

比べる

落ち込む

 

を繰り返すってことだった。

 

 

情報は集めなくてはいけないのは分かっていても

どうやっていいのかが検討もつかなくて、立ち止まっていたのに

 

『希望の臨界点』(最良)の視点で見ると

動くのです。

身体が勝手に。

 

 

身体の中から溢れだすように。

 

そして、また氣付く。

それをやる為のリソースをたくさん持っていたことに。

 

 

 

 

わたしの父親は中学校の英語の教師でした。

なかなかの熱血教師でね。

 

本当は跡継ぎに男の子が欲しかったのに

結局三姉妹

 

こうなると、長女がその役割を負わされる・・・

それがわたし。

 

 

教師になることが前提だったから、

父の思想を徹底的に埋め込まれました。

 

道徳(同和)教育にも人一倍熱心だったこともあり

差別的な発言、行動には相当のチェックが入ってました。

 

 

それに、ほら。

子どもの頃って、周りの友達が持ってるものって欲しくなるやん?

 

だから、「クラスの女の子みんな持ってるから買って」とお願いする。

オーダーを通りやすくするために、過度の一般化的表現をするわけですな(笑)

 

とすると、父はまず

 

「お前のクラスには何人いる?」

と質問します。

 

「38人」と答えると

「そのうち、女の子は何人や?」と聞いてくる

 

「20人」と答えると

「それを持ってる子の名前を全部あげよ」と言ってくる

 

結局さ、5人くらいなわけです。

で、「5人やった」と言うと

「それは女の子20人に対して何%や?」と聞いてくる

 

せっせと計算して、「25%」と答える

「25%では、みんなという表現は適していないな。

みんなと言う限りは、せめて全体の75%くらいになってから言え」

と宣われる。

 

「で、女の子全体の75%は何人や?」とついでに聞いてくるので

これまたせっせと計算して

「15人」と答える

 

「せやな。これからは簡単にみんなという表現は使わないように。

計算してから使いなさい」

 

 

ということで・・・

オーダーは通らないは

お願い事しにいったのに、勉強させられるわ

踏んだり蹴ったりなのだった(笑)

 

 

わたしが理屈っぽいのは、父のせいです(爆)

 

 

 

わたしは教師としての父を尊敬してました。

父を教師の模範とみてました。

 

だから、特に高校ではその模範に当てはまらない教師を糾弾しそうになったこともあります。

(若いですねー。青いですねー)

 

 

高校生のとき、卒業後の進路を決めないといけないときに

わたしは教師にはなれない(ならない)と思ったのです。

 

何故ならば、余りにも体制に反抗的なわたしは教員の世界は向かないだろうと

自ら判断したのでした。

 

 

そのときにね。

 

教育の世界に携わるなら

一教師になるより、学校創りたいわ

と思っていたのを、思い出したのです。

 

 

 

結局、教育学部にはいかず、

教員免許は取るという約束の元、外国語大学に進学し

教育実習にも行ったけど

採用試験の勉強なんて全然しなかったから、通るはずもなく

海外旅行主体の外資系企業に就職しました。

 

 

そこに25年務めることになるのですが、

父とは高校生の頃から

教育談義をしていましたので

 

就職してからも

実家に戻ったときは、やっぱり教育論です。

 

 

長く務めるようになると、人事や採用にも関わるようになり

 

今どきの新卒は、何故あんなに指示待ちなの?

何故あんなに打たれ弱いの?

何故すぐ拗ねるの?

何故こんなに「構ってちゃん」が多いの?

立派な大学出てるのに、お勉強ができても実社会でそれが生かせないのは何故?

何故応用が効かないの?

ベネフィットは欲しがるのに、何故リスクテイクができないの?

 

などなど

疑問を抱いたわたしは、父に詰め寄りました。

 

「もうちょっとマシな人間、社会に輩出してくれないかな?」

 

 

それに対して、父は

 

「もう今の学校じゃ無理やで」

と、寂しそうに答えました。

 

 

あんなに熱血だった父の、その諦めたような言葉に

彼の老いを感じて、とてつもなく寂しかったのを覚えています。

 

 

だからね。

 

父の意思を引き継ごうと思ったのです。

今さらだけど、今だからなのかも知れない。

 

 

教育熱心な父に育てられたこと

実社会で感じた部下たちの不満や苦悩

仕事と家庭と育児の両立で悩んだことも

そんな中、セックスレスも加わって離婚したことも

女性に生まれたことさえも

 

それらはすべて、わたしのリソースで

このプロジェクトには有効であると、確信しているのです。