秋の夜長は、読書だけでなく

映画にも導くのである。

 

家族崩壊ブロッカー・性愛セラピスト認定トレーナーの長澤りえです。
こんにちは。

 

 

『TESS(テス)』

ロマン・ポランスキー監督、1979年公開のフランス・イギリス 映画

 

 

高校生のときに、

親に黙って、遠くの町の映画館まで足をのばして

ひとりで観た映画

 

ずっと、もう1度観たいと思っていた。

先日BOOK OFFで見つけて、思わず買ってしまったよ。

 

強烈にわたしの中に残っていた映画なのに

ストーリーなんて、全然残ってなかった。

 

ハッピーエンドな映画でないことだけは、

主人公のテスが、とにかく耐え忍んでいたことだけは

覚えていたんだけど

 

残っていたのは・・・

 

ナターシャ・キンスキーの強烈な美しさと

 

ラストシーンのストーンヘンジ

 

 

原作はトーマス・ハーディーの『ダーバヴィル家のテス--純情な乙女』 1891年出版

 

 

以下、ネタバレです。

黒字はストーリー

赤字は時代背景

 

舞台は、19世紀末イギリス、ドーセット地方にある村マーロット。

イギリスの繁栄は1850年をピークとし、1870年頃不況期に入り、国力も失墜し始めた

19世紀後半は、ヴィクトリア朝が抱え持つ様々な問題(宗教、モラル、社会問題)を露呈し

始め、また同時に、作家たちがそれに敏感に反応する、そんな時代でした。

 

「テス」の舞台ともなっているヴィクトリア朝末期になると、一般的には、モラルが形骸化し、

因習が揺るぎ始め(宗教や思想がその根底をゆすぶられ)ていったとされるのですが、

本作品の舞台は英国東北部ドーセット地方の農村マーロット、つまり田舎なので、

まだまだキリスト教の伝統や村の慣習も人々の中には色濃く残っていました。

 

 

貧しい行商人、ジョン・ダーバフィールドは、家系図を見たという牧師から、

自分たちが旧家ダーバビル家の末裔であることを聞かされ、娘のテスに、

大邸宅を構えるダーバビル家(実際はダーバヴィル家を騙る成り上がり者の家)

へ金銭の援助を頼みに行くように言いつけ、奉公へ出ることになる。

中産階級・新興階級(ブルジョワジーなど)の人々は、地主や貴族階級と張り合うために、

必要以上に厳しいモラル基準(ジェントルマンとしての在り方のようなもの)を自分自身に

課し、彼らの態度や品行を模倣せざるを得ない時代でした。

 

テスを見初めたダーバビル家の若主人アレックは、彼女を誘惑し、手籠めにする。

その状況に我慢が出来なくなったテスは、実家に戻るが妊娠していた。

そうして帰ってきた娘たちを、家族は優しく接することはなく、

むしろ「迷惑」「不名誉」ぐらいに思い、家から追い出すこともあったそうです。

これは、「未婚の母」というものに当てはまる事例でした。

 

この時代の女性は、厳しいモラルを押し付けられた「家庭の天使」でした。

要するに、女性は「よき母、よき妻」として家庭を守る天使のような存在であれとする

当時の理想の女性像がそこにあります。

 

これは、産業革命が目覚しい発展を遂げ、家内工業がより大規模な工業となったために、

男性は外で働くことになり、女性は家庭を守ること(のみ)が義務付けられたことによるもの

だと思われます。

 

 

赤ん坊は、生後わずかで死んでしまい、教会で洗礼を受けることができなかった。

(テスが自分で洗礼儀式をしたものの)赤ん坊は教会に埋葬してもらえず、テスは自分で

作った小さなお墓にその子を葬った。

※1 後述

 

 

その後、再び働きに出た農場で、酪農の勉強に来ていた牧師の息子エンジェルと

恋に落ち、結婚することになるが、テスは自分の過去を打ち明けられずにいた。

 

結婚式の夜、エンジェルは自分の過去の(女性関係についての)過ちを妻テスに語り、

そして、テスも彼女自身の忌まわしい過去を打ち明けた。

 

しかし、因習的な女性観に縛られていたため、エンジェルはテスの過去をどうしても許すことができず、結局、テスを置いてそのまま一人外国(ブラジル)に去っていく。

テスの告白を聞いたとたんに態度を一変させ、

以来冷ややかな目でテスを見るようになるエンジェルの姿からは、

依然として因習(とくに女性観や宗教観)と中流階級的な偽善(「モラリティ」や「俗物根性」)にとらわれているのだということがうかがえます。

 

エンジェルにとって、処女ではないテスは、“理想の女性像=家庭の天使”から逸脱した、

要するに、“汚らわしい女性”として映ってしまったのです。

 

 

再びエンジェルが思いなおしてテスのところに戻る頃には

苦しい生活から家族を救うために、テスはあれほど嫌っていたアレックの妻になっていた。

 

尋ねてきたエンジェルを、一度は追い返すものの

精神的には、未だにエンジェルの妻であったテスは、

最後に精神的な愛を貫くため、アレックを殺し、エンジェルと逃げる。

 

新たな、そして真実の選択はもはや破滅以外のなにものでもなかった。

最後にはストーンヘンジで捕えられ、死刑となってしまう。

※2 後述

 

 

***

 

 

トーマス・ハーディーの『ダーバヴィル家のテス--純情な乙女』は、

最後の作品である『日陰者ジェード』と並んで、世評は良くなかったのです。

一般受けしないような、多くの社会批判が強く織り込まれているからでしょう。

 

その中でも本作品は、当時厳しい非難を浴びたそうです。

 

 

批判された理由は、題材に

①性的なものが含まれていること

 

②フェミニズムが生まれつつも、非常に強い反フェミニズムも醸成されるという社会背景

(ヴィクトリア期)にあって、テスは女性が主人公でその主人公が保守的ではない、

つまり当時の判断で不道徳である

 

③テスが自ら洗礼を施す場面などは、風俗上好ましくない(※1)

 

④テスが逃避行の最後に辿り着き、心身ともに安息を得る場所は、異教の神の神殿

ストーンヘンジであったことが反キリスト教思想に対する人々の反感を買った(※2)

 

 

ハーディは自然主義文学の流れをくみ、ありのままの人間を描いたので、

必然的にキリスト教批判、階級社会批判、男女差別批判にならざるを得なかった

のではないか

 

という肯定的な見方もあり、

実際は、ディケンズやサッカレーと並んで、

当時(ヴィクトリア朝時代の英国)を代表する偉大な文豪です。

 

 

***

 

 

先にも書いたように、ストーリーはすっかり忘れていた。

でもずっと心に残っていた作品。

 

そー言えば、大学の卒論のゼミは「英米文学」だった。

このゼミを選んだのは、担当のアメリカ人講師がわたしの父が知ってる人であり、

その先生がいるからという理由で、私大に行くことを許してくれたからだった。
 

ところが・・・

卒論テーマの作品を「トム・ソーヤの冒険」として提出したら

 

「くだらん! あれは英米文学ではない!」と言われたことに

ムカついたわたしは、そのままそのゼミを辞めてしまったのだなーΨ(`∀´)Ψ

(卒論提出しなくても、単位足りてたら卒業できる大学だったんでね)

 

 

本当は一瞬、この『テス』を卒論テーマとして再提出しようかと思ったのだけど

大事にとって置きたくて、そのまま辞めたんだよね。

 

今さらながら、ストーリーと時代背景を勉強し直してみたけど、

あの頃のわたしでは、やっぱり書けなかったであろうな

と思うのです。

 

今なら書けそうだわー。

 

 

 

テスを苦しめた、19世紀末のモラリズムは

21世紀になった、ここ日本でも残っている氣がします。

 

 

やっぱり、タブーをブチ破るのが一番の近道かもね。

 


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