先日の無料電話カウンセリングで、相談者の方が
「なんのために生きているのか分からなくて、生に対する執着もない」とおっしゃってました。
いろいろお話ししましたが、ひとつ伝え忘れた!と思いまして・・・
読んでくれるといいな。


なんのために生きてるのか。
んーんとね。わたしは
「幸せを感じるため」じゃないかな?と思う。
敢えて、「感じる」と表現しますよ(←ここ大事)


以前の記事でも書いたけど、
生まれた瞬間から死へ向かって歩いていきます。
神社の狛犬の間を抜けていけるのは、生きてるものだけです。

難しいことを考えれば、「魂との約束」を果たすためなのだろうけど
それを思い出せなくて、辛い思いをしているのかもしれないけど
その前に、「感じる」をしてみようよ。



「感じる」とは身体の感覚。
喜怒哀楽はもちろんわずかなものでいいの。

暑いとか寒いとか
痛いとか痛くないとか
心地良いとか
気持ちイイとか
気分が悪いとか
ほっこりするとか
美味しいとか
不味いとか
好きとか
嫌いとか

朝の空気が澄んでて氣持ちいいな~とか
お腹が痛ぁ~いとか
けど、おーちゃんのぬか袋で温めたら氣持ちいぃ~とか
今私は怒ってるとか
映画で感動した~とか
ライブで大興奮とか

なんでもいいのよ。
頭で「これはマル、これはバツ」って考えるんじゃなくて
身体感覚をただただ感じてみる。

「五感」とは視覚・聴覚・触覚・味覚・嗅覚の5つのことだけど、
触覚・味覚・嗅覚の3つを一緒にして、身体感覚。

視覚=Visual
聴覚=Auditory
身体感覚=Kinesthetic

この身体感覚にちょっと集中してみるといいよね。
そのときに良し悪しはジャッジしないでね。


そうすると、自分が「幸せを感じる瞬間」がどんなものか、見つかると思うよ。



「幸せになる」とか「幸せになりたい」とかあるけれど、
「幸せ」ってなるもんじゃなくて、
「感じる」もの。


昇格した
とか
事業で成功した
とか
結婚して、子どもがいる
とか
持ち家がある
とか
いくら他人が羨む状態であったとしても、
自分が幸せを感じていないのであれば、幸せではないんだよね。


幸せとは「カタチ」じゃない。
幸せとは、持っているものや、置かれている環境や条件ではなく、
そのときどきに感じる感覚。

だから、浮いたり沈んだりでいい。

その感覚がどんどん研ぎ澄ませていけば、
なにが好き
なにが嫌い
が、もっともっと分かるようになる。

その中から「好きなものを選び、嫌いなものを捨て」してるうちに
魂との約束を思い出すかもしれないよ(*^▽^*)
あ、「我慢をしない」ってことも大切だよね。


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