私は少し変わった考え方をする人間だと思ってた。
何故って、その考えを素直に伝えると、今まではほぼ責められてからね。

子どもは親を選んで産まれてきている。
とは、池川先生もおっしゃってることですが、私もずっとそう思ってた。

「いのちの大切さ」伝えにきた勇気あるたましいもあります。
とも池川先生はおっしゃってる。
これは虐待する親の元に生まれてくるたましいのお話し。

実は昔、とある掲示板で叩かれたことがあった。
話題は、もし無差別殺傷事件で自分の子どもが被害に遭って、
殺されたとするならば、その犯人に死刑をのぞむのか?
みたいなことでスレが立ってた。

ロムだけにしときゃ良かったのに、ついつい書き込んじゃったのよねぇ…
だって余りに「殺せ」とか「死刑」とかで盛り上がってるのが、氣持ち悪くて氣持ち悪くて
(そのエネルギーは無差別殺人した人のエネルギーととれも似ている氣がして)
書き込んじゃったわけさ。

「死なさない。死なせてたまるか」ってね。

死んで逃げるなんて許さない。
犯人が死ぬことよりも、恐れていることは
自分の内側と向き合うことなんだから、その作業をさせろと。


「もしその犯人が自分と向き合って、まっとうな人間になったら
自分の子どもを殺されたのに、赦せるのか?」

と聞かれたら
その人を救うために、あの子は生まれてきたのかな?
って思うしかないって返した。

そしたらば…大炎上したわ(爆)
「嘘つき!」とか
「きれい事言うな!」とか
「遺族の気持ちを全然わかってない」とか

だから、今でもこれを書くのはすごい怖い。
でもこれは誰かにそうしろってことではなくて、私はそう感じてしまうってこと。
それは子どもを亡くして悲しいとは、別のこと。

とは言いつつね…氣持ち悪いんだったら見なきゃいいだけ。
それに反応してしまって、おまけに書き込みするっていうのは、
その時の自分の気持ちの有り様よ。
このときの自分の「高次の意図」がなんだったのかは、もう少し考えてみる。



池川先生は中絶のことについても、
手術の前に、赤ちゃんの許可をもらってください
とも書いている。

私、デキ婚なんたけど。
妊娠が分かったときって、普通に考えたらとってもバッドタイミングだった。
正直分かった直後は、産む決心もつかず、かと言って中絶も決心できず…
ただ、妊娠初期の妊婦が取る行動ではないような働き方すること1ヶ月弱。

まったく動じず私の子宮にへばりついてる。
「うわぁ…この子、産まれる氣満々やわー」って思ったんだよね。

そう感じたら、それをどうこうする氣もなくなり
「この子の命はこの子のもので、生きるも死ぬもこの子が決める」
の感情のもと、今に至る…。



起きた出来事(殺人だけじゃなく、いじめとか、ハラスメントとか)の何故を知りたい。
ただ騒ぎ立てるのではなく、見つめていきたい。

だってね。
子育て中や、過去に子育てした人は、本当は解るんぢゃないのかな。
育児放棄や虐待のニュースを見るたびに、「明日は我が身」って思わなかった?

私は何度も思ったね。
なんとか踏みとどまっていただけよ。
タガが外れれば、誰でも「明日は我が身」

キレイゴトは何も救わない。
正論でも何も救われない。
もっと深く入っていかなければ・・・

正も負(と思い込んでるだけだけど)も、それはそこにある。あるがまま。