19th, June. '88
BAD world tour 2nd leg
MJはGermanyを訪れ
'Berliner Mauer'ー'ベルリンの壁'ー
でのconcertを敢行した



Berliner Mauerは
冷戦の真っ只中にあった'61 8/13に東ドイツ政府が建設した
東ベルリンと西ベルリンを隔てる壁である
'89 11/10に破壊され、'90 10/3に東西ドイツが統一されるまで
この壁がドイツ分断の象徴となった
このconcertは、その統一前夜に幕を開けたのだ


ー以下は'09 7/30になって公になったreportであり
Stasiとは、東ドイツの秘密警察・諜報機関である国家保安省
Ministry for State SecurityーMfSーの通称であるー
MJのStasi-file
東ドイツ政府は西からの影響を恐れていた。
MJのconcertも危険とされたのだ。
詳細は本日発表された。
秘密警察の捜査の対象としてMJが?
ドイツ民主共和国と呼ばれる警察国家があった。
King of Popは'88、Stasiのactionの対象となった。
それはMJが西ベルリンのBrandenburg門でconcertを行った時。
'image新聞'によると
Stasiは、pop starとの協力の事実などについて
いわゆるBirthler機関のファイルから見ることができると報じた。
Birthler機関がStasiのファイルを管理することができるのだ。
東ベルリンの共産主義政権は、若い人たちの集まりだけではなく
ベルリンの壁の東側でのデモや暴動を恐れていた。
"若い人たちはこのコンサートをどんなcostを払ってでも参加するだろう"
Stasiによる報告書は述べている。
これらの若者たちはまた、人民警察(人民警察)と喜んで対立するだろう。
Erich Honecker将軍の表現によれば、
"若い人たちはこの問題を神にすら問いかけるだろう"と。
それは国家の安全保障に関わってくる事を意味する。
この場合は、政府組織に異を唱える宗教界の自由派野党に対する
戦略的譲歩についてだった。
Stasiは、concertのリハーサルも検閲した。
西ベルリンで'88,6.に行われたMJのconcertへの対策として
Stasiは、東ベルリンでのconcertの組織を検討している。
壁を隔ててそこに "counter-tour"の格差が生じてはまずいのだ。
MJのconcertは、東ベルリンのスタジアムで画面に転送されるが、
それは完全版ではなく、2分遅れになる。
加えてStasiは、MJのconcertの放送中に"政治的な挑発"は一切禁止し
別のMJのconcertビデオを見せる検討をしていた。
MJのconcertに対する破壊的なアクションは
情報がないという理由で結局なされなかった。
事実は、19 June '88 MJがconcertを行った東ベルリンの
ドイツ民主共和国の安全保障機関は非常に活発だった、という事だ。
Bild紙によると、MJのfanにStasiの人民警察は残忍な狩猟を行った。
'89.秋、東ドイツが崩壊し、壁は下落した。

June '88 in West Berlin on stage: Photo: Keystone