16th, May. '83
Pasadena Civic Auditoriumで収録された
'Motown 25'が NBCから放映され
MJは初めてmoon walkを披露する
これは全米をexciteさせ、世界に向けて発信される事になる
MJのgolden ageのfanfareが高らかに鳴った瞬間だった
ーMJ逝去のnewsが世界を駆け巡った翌日、
Los Angeles Timesに'memory'が掲載されているー
ほとんどの人々に彼ら自身の’MJの瞬間’がある。
私のそれは、MJが世界を静止させ息を止めさせた夜、
おそらくは彼のキャリアで最も重要なライブパフォーマンスを
幸運にも目撃できたことだろう。
1983.3/25、motownは財政難と戦う為の多彩な資金調達者を投入し
自ら自画自賛のshowを開催する事にした。
多くのbig nameーJackson, Diana Ross and Marvin Gayeらーが去り
Motownはその運が下降していたのだ。
showにあたって、誰が現れるだろうという憶測が飛び交った。
好奇心のほとんどは、そのnew album'Thriller'がライバルレーベルで
chartを席巻しているMJに集中していた。
そして、彼がMotownの創設者Berry Gordyに敬意を払って
パーフォーマンスをするかどうかは、不確かだった。
予期せぬ忘れ難い瞬間がしばしばそうであるように、
それは退屈な背景で始まった。
showは、コンサートには適さない洞窟のような
Pasadena Civic Auditoriumで行われた。
私は後ろに30列しかない右側の端っこにどうにかチケットを取った。
TV放送の録画テープを撮るために、
showはその夜4時間も長引いて中断や再開を繰り返した。
決してエキサイトしそうもないお行儀のいいaudienceで、
それはとても落ち着いていた。
半分ほど過ぎた時、旧J5がステージに躍り出て、
そう、MJが加わったのだ。
私は彼の背の高さに驚いた事を覚えている。
彼らは懐かしい歌を4曲歌い、他のメンバーはステージを下りた。
MJはまるでElvisのように "thank you, thank you" をくり返し、こう言った。
'僕は自分達の旧い歌を好きだ、でも本当は新しいものも好きなんだ'と。
一瞬の静寂があった。
助手が走り出て彼に山高帽を渡し、ドラムスがかの'B-J'のイントロを奏で、
MJはstageの上を私の方向に歩いて来てあのシルエットポーズをとった。
その場は爆発した。
私は群衆反応にはかなり飽き飽きしているが、これは違っていた。
それは轟音などというものではなく、
全ての聴衆から同時にわき上がる悲鳴の音に近かった。
ーまるで万人が一瞬で恐怖に陥ったかのようなー
私の前の2人の女性は、stageに釘付けにされながら
無意識にその一瞬にしがみついて掴み取ろうとするかのように
互いに抱き合っていた。
奇妙な事に15秒間のパーフォーマンスの間、聴衆は静まり返り
誰もがそれに浸り込んでいた。
我々全てが、この、自分の芸術性を完全に管理するようになった
新しい・大人のMJに魅了されたはずだ。
ファルセットは確かにそこに在るかも知れないが、さもなければ
まるでMJは我々には見慣れない亡霊であるかのようだった。
パフォーマンスの鍵はそのdanceだった。
私はそれまでMJを大人のartistとしては考えたことはなかった。
ひょろ長いそのシルエットは、
彼が捨て去っていた非常にシャープな動きを強調しており、
それは絶妙の1/1000秒の静止間隔をもって構成されていた。
その初めてのMoonwalkはさらなる興奮の渦をよんだ訳だ。
後刻ロビーで人々はそれを真似ようとしていたけれど
当然ながら、誰もその動きはできなかった。
歌が終わり、その瞬間が過ぎてMJがstageから去ったあと、
次のprogramまでの休憩があった。
私が洗面所から出て来て入れ違いに入る人々がいた。
そして私は彼らの会話の断片を聞いた。
Jackson was like "nobody now."
MJは'今や誰も到達し得ない'と。
Nobody since, either.
そして それは以降もそうなったのだ。
ーJune 27, 2009 by Christopher Smithー
