前回の「帰国前夜」からブログを終結させずこのまま自然消滅させて終了・・・という中途半端な形で私らしくブログを締めくくる予定だった。


が、


私のもう一人の母ことチェンマイの母から「人のブログのコメントでしゃべくってる暇があったらブログ完成させなさいよ!」というお叱りを受けた。

それでも、一時やる気がおきず、そのまま放置。


今に至る。


まぁ、とりあえず1ヶ月半ほど前の帰国前日にタイムスリップするとしますか。


あの帰国前日。
ストリップを入口直前で辞退した友達が、「明日空港まで見送りにきてあげるよ。」という。
深夜1時のフライトだし、彼女は旅人ではなく現地で働いている方なので、それは悪いと思って断った

が、押しに負けた。


帰国日当日。
雨・・・かよ!
きっとタイも私の帰国を悲しんでいるのね・・・。


空港で21時に待ち合わせして、ご飯食べて、お茶して、いざチェックインしに行きますか・・・とカウンターに向かっていると、見覚えのあるお方がいる。
彼とはイランであって、タイで再会を2回果たした。

「あれ?どうしたんですか?誰かの見送りですか?」と聞く私。


な・なんと!!
私を見送りに来てくれたのでした。
それも手土産持って。
彼はバイカー(バイクで旅してる人)なのでその完全装備のままで、空港ではとても浮いていて、変質者に間違えられたらしい・・・。
そこまでされても諦めて帰らんでくれたことに感謝。

実は彼とは2日前チェンマイの宿で別れたばかりだった。
チェンマイの宿で毎晩朝方まで飲んでいた私は、朝早い彼の旅立ちを見送れず「やっちまった・・・。」と後悔していた。
そんな矢先の再会でとてもうれしかった。
私は彼にフライトの時間を告げていなかったのに、わざわざ誰かに聞いて来てくれた。
本当にうれしかった。
感動した。

私は今までの旅中、人に見送られるより見送る方が多かった。
最後の最後で、長居したチェンマイの宿でもたくさんの人が見送ってくれたし、まさか空港でまで見送ってもらえるなんて思っていなかったから本当にうれしかった。


旅の最後は開き直って、毎晩朝まで飲んだくれていたのでそのつけがきたのか、機内ではずっと爆睡で毎回楽しみの機内食も食べれなかった。

その上1回と思っていた乗換えが2回あり、中継地の北京で、福岡行きなのに、国内線へ連れて行かれて、国際線へ戻って、するとまた国内線へ連れ戻されて・・・。
乗り換え時間が2時間もないのに、ずっと空港を走り回っていた。
ガソリンで経由する大連が中国のため、国際線なのに国内線扱いだったようだ。
こんなことってあるのか・・・。
最後の最後まで大変だった。
帰国の時ぐらいスムーズに帰らせてくれ・・・。

そんなこんなで2時間遅れで福岡に到着。
着陸する時、見慣れた街が見えてきて、泣きそうになった。
いやいや、涙は家族との再会に取っておこう。
ふと4年前にこの空港を後にした時の不安と期待が入り混じった切ない感覚が蘇った。


帰ってきた。
帰ってこれた。


ボッロボロのバックパックカバーを捨て、最後の難関「税関」へ
ページがなくなって新しくしたパスポートにはタイのスタンプしかない。
問題ないだろう。

っと、思っていたが、出国スタンプがないので4年の旅を白状する結果となり、バックを開くよう求められた。
やましい物がなければいくらでも見られていいのだが、今回はメインのお土産にやましい物があった。
通れるかどうかかなり不安でドッキドキだった。
その緊張感がバレないようにしゃべりまくる。
検査官は、私のサブバックだけを見てOKを出してくれた。

「やったー!!通過!!」

ロビーへ出るドアが開くと、父ちゃんが待ち構えていた。
4年ぶりに見る父は、白髪が増えて爺さん化していた。
その後、母ちゃんが現れ、話していると涙が滲んだ。
その後、兄ちゃんが現れ、人ごみから弟の顔が見えた時には驚いた。
家族全員で迎えに来てくれていた。
冗談半分で「家族総出で迎えに来い」と言ったのを真に受けていた・・・。
とてもうれしかった。

機内食を食いっぱぐれた私のために、その足で寿司屋へ行った。
店員に英語で話しかけそうになった。
ろくにしゃべれるわけでもないのに。
習慣って恐ろしい。

寿司屋にあったビールサーバーが完全機械化なのに驚いた。
学生時代の居酒屋バイトで磨いた生をつぐ腕を見せつけてやろうと思っていたのに・・・な。



私にとって3年10ヶ月のこの旅はあっという間だった。



旅に出て2週間でホームシックになり、電話口の母の声に泣きそうになるのを必死でこらえた。

嫌いだったアメリカ、行って好きになった。

欲張りな私は、旅当初の中米はガツガツ観光して、行きたい所は全部行った。

1年3ヶ月も居た南米はどの国も本当に楽しくて、物もお金もいっぱい盗られたけど、どの国も大好き。出たくなかった。

ヨーロッパではたくさんの友達にお世話になった。友達の友達は皆友達。

辛すぎて、辛すぎて、何回も泣いた、アフリカ。今では一番の思い出。

たまにはセクハラもあるが、親切な人が多いイスラム圏。

民泊地獄、中央アジア。宿と食事はタダの世界。人も怖いぐらいに親切。

中国も行って好きになった国の一つ。友達になればむちゃくちゃ親切。日本人と一緒!?

西アジア、世界最強の物価安と汚さ。ここでマラリアに侵された・・・。

東南アジアは旅の疲れを癒してくれた。


-30℃から50℃まで、極寒から熱地獄まで経験した。
50℃の中、風に吹かれ続ければ火傷する。
45℃の中、チャリで遺跡を観光したこともある。
-30℃では、凍死できる。
そんな場所でも生活する人達はいる。



嫌いな国はない。
どの国も好き。


娯楽というより、修行の様な旅だった。
喜怒哀楽使い果たした。
夢のような3年10ヶ月だった。


遠い日本からずっと励ましてくれた家族、友達、彼氏。
殴っても、蹴っても、笑って親切にしてくれた現地の皆さん。
どうもありがとうございました。


30代、始まったばかり。
4年間も海外をふらふらしてやりたい様にやらせてもらったので、これからはその分心を入れ替えて働きたいと思います。
っと、この私が言うと思いますか!?

これからもやりたい事を思う存分やっていきます。
「やりたい事やったもん勝ち!!」
この精神でいきたいと思います。

30代は、仕事して、結婚して、出産して、育児するのが目標。
これからも我武者羅(←漢字にすると何か凄いな)に生きていきます。


そんな私をこれからもどうぞよろしく☆


そして、私の旅はもう少し続きます・・・。


詳細はまた次回。
文字だけの面白くもない文章にお付き合いくださり、ありがとうございました。