ビザ取りで苦労した中央アジアも終盤を迎えつつある。
思い返せばいろいろと慣れないことが多くて戸惑った。
ある程度旅してきているつもりだが、中央アジアは今まで行った国とはちょっと違った。
ビザ地獄と言われる西アフリカでさえ、あの黒人でさえ、即日、遅くても翌日に発行できるビザを中央アジアの大使館は丸1週間かかる。
トルクメニスタンなんかトランジットの5日ビザのために2週間かかる。
ビザ期間より取得期間の方が長い。
自分から「14日に来い」と言ったくせにいざ行ってみると「やっぱ明日」とか抜かす。
その14日のために観光もそそくさと終わらせ、夜行でその日の朝に戻り、一時間半かけて大使館に着いたというのに、一言目に「明日来い」と平気で言う。
一暴れしてやったら、大使直々「ごめんなさい」と言ってくれた。
が、それでも治まらない私は警備員につまみ出された。
そんなこんなでやっとのことで入国して、国境越えた時点で足がない。
公共の交通機関がないわけではないんだが、乗り合う現地人がいないため有り得ない値段を表示される。
入国早々トラックヒッチ。
その後、やっとのことで乗り合えて、というか乗り合うために予定とは違う街に行き、同乗していたおっさんの好意より民泊。
初日からヒッチと民泊でスタートした中央アジア。
思い返せばどの国もずっとそんな感じだった。
ヒッチハイクも民泊も今までしたことがないわけではないけれど、私の旅のスタイルではない。
民泊すれば気疲れするし、ヒッチすれば体触られる。
でも、中央アジア、特にトルクメニスタンではよくヒッチした。交通手段がなかったり、乗り合えなかったりで、ヒッチしないと移動できない。
何回もやってると結構慣れた。
コツが掴めてきた。
民泊も何回も経験しているうちに慣れた。
移動で深夜や早朝に目的地に着いたりすると、当たり前のように絶対誰かが家に泊めてくれた。
朝食も食べさせてくれた。
私はロシア語出来ないし、彼等は英語出来ないし、言葉が通じなくても、身振り手振りでなんとかわかる。
初めて海外を旅した頃を思い出した。
人はそんなに親切じゃないと聞いていたけれど、むちゃくちゃ親切だと思う。
それは民泊の日数に比例する。
ある日、民泊させてもらった家の子で、私のi‐touchからゲームを探し出し、将棋の相手をさせられた。
「将棋知ってるのか?!」と疑うぐらい私のいい駒は取られていく。
しかし、やっぱり王を取った者が勝つということは知らなかったらしくギリギリで私が勝った。
7歳児に負ける所だった。
打ち間違えてi‐touchを引っ張り取り合う7歳児と31歳児。
深夜に騒いで怒られた。
こういうのが一番楽しかったりする。
私の永遠のライバル、7歳児逆立ちアミン。
超かわいい。
この7歳児、この歳にしてロシア語を操る。
ちなみに12歳の兄ちゃんは英語が堪能。
私より堪能。
タジキスタンは小学校で英語かロシア語を選択する。
そんな彼等に比べ、中央アジアに1ヶ月半もいるのに、私のロシア語は全く上達しない。
今まで30種類ぐらいの言葉と触れ合ってきたが、ロシア語はその中でも断突で進歩がない。
ただ努力してないだけなのだが、言い訳させてもらうと、今まで使ってきた言葉に似てたりするのでどうしてもそっちを使ってしまう。
数字はトルコ語と一緒だし、挨拶はイランと同じサラーム(ちなみにマダガスカルも同じ)、アウトブスとかアエロポルトとかディエスミヌトはスペイン語と同じ。
タジクでは写真のことをスーラ(アラビア語)って言ってたし、5のことをパンジー(ペルシャ語)とも言ってた。
陸続きだからなのかいろんな所の言葉が混じってる。
それとも私の耳がおかしいのか。
私はずっと飛行機を使わず陸路で旅しているので文化の違いなどあまり感じないが、イランからトルクメニスタンへ入った時、「アジアへ入った」と思いっきり感じた。
ラインが見えた。
まず現地人の顔が濃いアラブ系から自分と同じような顔のアジア系に変わった。
イランの3週間ずっとモノトーンの服装ばかりを見ていたため、トルクメのカラフルな色の民族衣装を国境で見た時、色の花が咲いて目がチカチカした。
でも一番デカかったのは、「お茶」だ。
今までお茶と言えば「紅茶」だったのが、「緑茶」になった。
トルクメの初日民泊した時、お茶が出てきて「これ明らかにまだできってないぞ」って程色が薄かった。
でもおばちゃんが飲んでるから飲んだら緑茶だった。
緑茶との3年ぶりの再会だった。
感動と言うか感激に近かった。
日本では毎日の様に飲んでいた緑茶。
夜、夕食の後、よく母ちゃんが煎れてくれた。
それを思い出した。
柿やみかんとも3年ぶりに出会った。
キロ買いしてよく食べている。
私のお気に入りの公園。
この辺りはこういうのっぽの木が多い。
ずっとアフリカにいたので冬は2年ぶりで、元々寒さに弱い上、防寒着もない。
めちゃ、めちゃ寒い。
死にそうだ。
雪化粧、美しい。
今、泊まってる宿。
普通のアパート。
2日前に寒波が来た時、半ズボンだった。
そんな寒さも手伝ってか、今、むちゃくちゃ日本に帰りたい。
ここんとこ民泊が多いし、中央アジアの宿は民泊みたいな普通の家が多いから自分の家みたいだし、食べ物も日本のものに近いのも帰りたい気持ちをでかくしている。
なにより日本まで5000kmという位置まで来ている。
近い。
本気出せばバスで一週間で帰れる。
今、キルギスタンのビシュケクだが、次にカザフスタンに入りその次は中国だ。
中国ですよ、中国。
あの中国。
日本の隣の国の。
日本はもう目の前だ。
この中国様がデカすぎるんですけどね・・・。
今までは旅に対するテンションが下がって居る時に帰りたいと思うことがあったが今はちょっと違う。
旅は今まで通り楽しめているんだけど、帰りたい気持ちも高い。
今、日本に帰れたら最高だと思う。
昨日電話で話したら、どうやら婆ちゃんが危篤らしい。
2年前、旅に対するテンションが落ちている時、帰ろうかと思った。
その時、婆ちゃんが入院した。
もしかしたら婆ちゃんが私を呼んでいるのかもしれない。
中央アジアではちょうど結婚式シーズンだったのか、同じ場所でたくさんのカップルが結婚式を挙げていた。
合同結婚式かと思った。
タジクでは招待してもらってうまい料理をたらふく戴きました。
思い返せばいろいろと慣れないことが多くて戸惑った。
ある程度旅してきているつもりだが、中央アジアは今まで行った国とはちょっと違った。
ビザ地獄と言われる西アフリカでさえ、あの黒人でさえ、即日、遅くても翌日に発行できるビザを中央アジアの大使館は丸1週間かかる。
トルクメニスタンなんかトランジットの5日ビザのために2週間かかる。
ビザ期間より取得期間の方が長い。
自分から「14日に来い」と言ったくせにいざ行ってみると「やっぱ明日」とか抜かす。
その14日のために観光もそそくさと終わらせ、夜行でその日の朝に戻り、一時間半かけて大使館に着いたというのに、一言目に「明日来い」と平気で言う。
一暴れしてやったら、大使直々「ごめんなさい」と言ってくれた。
が、それでも治まらない私は警備員につまみ出された。
そんなこんなでやっとのことで入国して、国境越えた時点で足がない。
公共の交通機関がないわけではないんだが、乗り合う現地人がいないため有り得ない値段を表示される。
入国早々トラックヒッチ。
その後、やっとのことで乗り合えて、というか乗り合うために予定とは違う街に行き、同乗していたおっさんの好意より民泊。
初日からヒッチと民泊でスタートした中央アジア。
思い返せばどの国もずっとそんな感じだった。
ヒッチハイクも民泊も今までしたことがないわけではないけれど、私の旅のスタイルではない。
民泊すれば気疲れするし、ヒッチすれば体触られる。
でも、中央アジア、特にトルクメニスタンではよくヒッチした。交通手段がなかったり、乗り合えなかったりで、ヒッチしないと移動できない。
何回もやってると結構慣れた。
コツが掴めてきた。
民泊も何回も経験しているうちに慣れた。
移動で深夜や早朝に目的地に着いたりすると、当たり前のように絶対誰かが家に泊めてくれた。
朝食も食べさせてくれた。
私はロシア語出来ないし、彼等は英語出来ないし、言葉が通じなくても、身振り手振りでなんとかわかる。
初めて海外を旅した頃を思い出した。
人はそんなに親切じゃないと聞いていたけれど、むちゃくちゃ親切だと思う。
それは民泊の日数に比例する。
ある日、民泊させてもらった家の子で、私のi‐touchからゲームを探し出し、将棋の相手をさせられた。
「将棋知ってるのか?!」と疑うぐらい私のいい駒は取られていく。
しかし、やっぱり王を取った者が勝つということは知らなかったらしくギリギリで私が勝った。
7歳児に負ける所だった。
打ち間違えてi‐touchを引っ張り取り合う7歳児と31歳児。
深夜に騒いで怒られた。
こういうのが一番楽しかったりする。
![りんどう烈火 ◇ 九州女児世界一周独り旅リアルタイムBLOG ◆-T5](https://stat.ameba.jp/user_images/20101205/16/rindow-rekka/4a/a9/j/t02200293_0800106710899872081.jpg?caw=800)
私の永遠のライバル、7歳児逆立ちアミン。
超かわいい。
この7歳児、この歳にしてロシア語を操る。
ちなみに12歳の兄ちゃんは英語が堪能。
私より堪能。
タジキスタンは小学校で英語かロシア語を選択する。
そんな彼等に比べ、中央アジアに1ヶ月半もいるのに、私のロシア語は全く上達しない。
今まで30種類ぐらいの言葉と触れ合ってきたが、ロシア語はその中でも断突で進歩がない。
ただ努力してないだけなのだが、言い訳させてもらうと、今まで使ってきた言葉に似てたりするのでどうしてもそっちを使ってしまう。
数字はトルコ語と一緒だし、挨拶はイランと同じサラーム(ちなみにマダガスカルも同じ)、アウトブスとかアエロポルトとかディエスミヌトはスペイン語と同じ。
タジクでは写真のことをスーラ(アラビア語)って言ってたし、5のことをパンジー(ペルシャ語)とも言ってた。
陸続きだからなのかいろんな所の言葉が混じってる。
それとも私の耳がおかしいのか。
私はずっと飛行機を使わず陸路で旅しているので文化の違いなどあまり感じないが、イランからトルクメニスタンへ入った時、「アジアへ入った」と思いっきり感じた。
ラインが見えた。
まず現地人の顔が濃いアラブ系から自分と同じような顔のアジア系に変わった。
イランの3週間ずっとモノトーンの服装ばかりを見ていたため、トルクメのカラフルな色の民族衣装を国境で見た時、色の花が咲いて目がチカチカした。
でも一番デカかったのは、「お茶」だ。
今までお茶と言えば「紅茶」だったのが、「緑茶」になった。
トルクメの初日民泊した時、お茶が出てきて「これ明らかにまだできってないぞ」って程色が薄かった。
でもおばちゃんが飲んでるから飲んだら緑茶だった。
緑茶との3年ぶりの再会だった。
感動と言うか感激に近かった。
日本では毎日の様に飲んでいた緑茶。
夜、夕食の後、よく母ちゃんが煎れてくれた。
それを思い出した。
柿やみかんとも3年ぶりに出会った。
キロ買いしてよく食べている。
![りんどう烈火 ◇ 九州女児世界一周独り旅リアルタイムBLOG ◆-T4](https://stat.ameba.jp/user_images/20101205/16/rindow-rekka/25/14/j/t02200293_0800106710899864994.jpg?caw=800)
私のお気に入りの公園。
この辺りはこういうのっぽの木が多い。
ずっとアフリカにいたので冬は2年ぶりで、元々寒さに弱い上、防寒着もない。
めちゃ、めちゃ寒い。
死にそうだ。
![りんどう烈火 ◇ 九州女児世界一周独り旅リアルタイムBLOG ◆-K1](https://stat.ameba.jp/user_images/20101205/16/rindow-rekka/39/4e/j/t02200293_0800106710899923755.jpg?caw=800)
雪化粧、美しい。
今、泊まってる宿。
普通のアパート。
2日前に寒波が来た時、半ズボンだった。
そんな寒さも手伝ってか、今、むちゃくちゃ日本に帰りたい。
ここんとこ民泊が多いし、中央アジアの宿は民泊みたいな普通の家が多いから自分の家みたいだし、食べ物も日本のものに近いのも帰りたい気持ちをでかくしている。
なにより日本まで5000kmという位置まで来ている。
近い。
本気出せばバスで一週間で帰れる。
今、キルギスタンのビシュケクだが、次にカザフスタンに入りその次は中国だ。
中国ですよ、中国。
あの中国。
日本の隣の国の。
日本はもう目の前だ。
この中国様がデカすぎるんですけどね・・・。
今までは旅に対するテンションが下がって居る時に帰りたいと思うことがあったが今はちょっと違う。
旅は今まで通り楽しめているんだけど、帰りたい気持ちも高い。
今、日本に帰れたら最高だと思う。
昨日電話で話したら、どうやら婆ちゃんが危篤らしい。
2年前、旅に対するテンションが落ちている時、帰ろうかと思った。
その時、婆ちゃんが入院した。
もしかしたら婆ちゃんが私を呼んでいるのかもしれない。
![りんどう烈火 ◇ 九州女児世界一周独り旅リアルタイムBLOG ◆-T9](https://stat.ameba.jp/user_images/20101205/16/rindow-rekka/c4/13/j/t02200165_0800060010899893174.jpg?caw=800)
中央アジアではちょうど結婚式シーズンだったのか、同じ場所でたくさんのカップルが結婚式を挙げていた。
合同結婚式かと思った。
タジクでは招待してもらってうまい料理をたらふく戴きました。