土曜日は、パーソナルストーリーを作る講座にオンラインで参加しました。
その中で、自分から出てきた言葉で、楽しいわくわくする頑張りかたをしながら、自己実現していく個人事業主のためのサービスという言葉が出てきました。
無意識に誰かに影響された言葉のような気もしますが。
辛い頑張りかたは誰にとっても幸せでない。自分自身もそうだし、自分と関わる人にとってもいいことではない
というのは私自身から本当に出てきた言葉です。
私自身、スマホがない20世紀末の片田舎で育ちました。
情報もなく、自分に何かができるとも思っておらず、とはいえ、そこまで努力しなくても勉強が得意だったので、なんとなく、周りの期待に応えていました。
高校は地元では当時女子が入れる一番いい高校だったのですが、高校の時点で、居心地の悪さは感じており、かといって、N高のようなものもない時代でした。
高校に入学した時点で、もう、受験なんかしたくないし頑張りたくない、大学に興味なんてない、行きたくない、映画監督になりたい、と思っていたのですが、そんなにたくさん映画を見られる環境でもなかったので、映画監督は現実的でなく、とはいえなんとなく高校に通って勉強していたら、福島大学経済学部に入ることができました。一応国立大です。当時は旧帝大というハイレベルな国立大に入れなかった人が入る大学の学部でした。
大学は、ここにいても無駄、ということを4年間考えるだけの日々でした。
とはいえ、大学時代は経済の勉強をなんとなくしていたので、そこから映画監督にはなれず、就職氷河期世代なのですが、東京の中小企業に新卒で入ることができました。
好きじゃないけど、なんとなくできること、で、私はずっと道を切り開いてきました。
ずっと、好きじゃないけどなんとなくできることを頑張り続けてきました。
全然楽しくなかったし、なかなか、私も気難しいので、友だちを作るのも難しかったです。孤独でした。
東京で2年半働いたところで、Webデザイナーに転職する学校があることを知り、ちょうど、その学校に通う分ぐらいの貯金ができた時期だったので、Webデザイナーに転職する学校に通ったのがきっかけで今に至ります。
そこに行くまでは、私は、自分はただの変わり者だと思っていて、自分に自信がありませんでした。
でも、Webデザイナーに転職する学校には、自分と似たような人たちがいました。
そこから、少しずつ、自分を肯定できるようになっていったのかもしれません。
それを踏まえて考えると、やっぱり、好きなことをやった方がいいんですよね。
不本意な環境にいるところから、好きなことをやる、に向かうとき、ひとっ飛びに環境をガラっと変えることはできないと思います。
でも、少しずつ、変えていくことは、できます。
そこを応援したいな、というのが、仕事でやっていきたいことなのかなと、土曜日に講座に出て思いました。