わが子に障害がある
その事実を知った時に喜ぶ親など一人もいないと思います。
いくら悲しんでも悔やんでも泣いてもどうにも消せないその事実。
それを知った5年前の私は、5年後に自分と子どもが笑っている姿を想像することなど到底出来ず、、、
毎日毎日元の生活を取り戻すことばかりを考えて思い詰めるあまり、5年頑張って育てたら再び自分の生活を取り戻すために、我が子を犠牲にしてしまおうと恐ろしい計画を企てていたのです。
今、こんな物騒なことをいきなり語っている理由は、5年経ってその恐ろしい計画を実行しようとしているから、、、
では、もちろんなくて
わが子に障害があると告知を受けて暗闇にいるパパやママに
「あなただけじゃないよ。皆な同じ道を辿ってきたんだよ」と伝えたかったから。
ブログを書いてきたこの5年間の間に沢山のパパさんママさん、ときにはおばあちゃまからもコメントやメッセージを頂きました。
わが子の障害告知を受けたばかりで辛くてこの先のことが考えられず、人には言えないことばかり考えてしまうというお悩みを沢山お聞きするうちに、当時のブログには詳しく書かなかったけれど、自分はどんなことを考えどんな経緯で立ち直っていったのかをお伝えしたくなったのです。
とても酷い話ばかり書いてありますが、どれも本当のお話です。
5年経った今では、そう言えばそんなこともあったね、あの頃は本当にヤバかったね、、とパパと笑いながら話せるようになりました。
今、とても酷いことばかり考えてしまって自分を責めてしまっているかもしれないパパさん、ママさん、
きっといつか笑い話に変わる日が来るので、どうか苦しみ過ぎませんように。
告知を受けたばかりの頃の私は、世の中の全てを憎み、何よりも10か月お腹の中で大切に育ててきた生まれたばかりのわが子を一番憎んでいました。
わが子にの障害があることを知った親が障害を受容するまでにたどる過程は、
ショック→否認→悲しみと怒り→適応→再起の5段階だと言われていますが、私の場合は「怒り」の感情が一番強かったように思います。
告知を受けた時、わが子に障害があるという想像もしていなかった事実にショックを受けはしましたが、その反面この子は明らかに他の子どもと違う、何かあるはずだと思っていたので、わが子に障害などあるはずがない、何かの間違いや診断ミスではないのかと否認するような気持ちはあまりおきませんでした。
でも告知を受けた際にその病名が「プラダー・ウィリー症候群」という聞いたこともない病気なのだと知らされ、その病気のことを詳しく調べたときの絶望感。
ネットには恐ろしい文字ばかりが並び、読めば読むほどに浮かび上がることの出来ない底なしの暗闇に沈んでいきました。
ネットの記事を読み進めていくと、年齢を重ねるごとにどんどん育てにくくなっていき、身体のあちこちに問題が生じ、、、
押さえられない食欲を持ち、激しい癇癪とパニックを起こすモンスターとしか思えない。
これは本当に私が産んだ子どもなのだろうか。
一歩外にでたら、他人の食事まで奪って食べ尽くしてしまうのではないか?
もしかしたらレストランのゴミ箱まで漁ってしまうんじゃないか?
こんな恐ろしいモンスターを人前に出す訳にはいかない。
私は一生この子と家に閉じこもって外から鍵をかけてもらわなければならない。
どうしてこんなことになってしまったの?
もっと色々な検査を受けていればこんなに恐ろしい子どもだということが事前に分かったのではないか?
そもそもなぜ子どもなんて産んでしまったのか、、、
と毎日後悔の涙を流し、夜もほとんど眠らずに世の中の全ての人を憎みました。
今思うとかなりの抑うつ状態にあったのだと思います。
病院の先生や看護師さんに対して、どうして頼んでもいないのに私に無断でこのモンスターの命を保育器や経管栄養で繋いでいるの?
頼むから放っておいてよ、と憎しみを募らせ
カウンセリングをしてくださる先生のことは「どうせあなた達がこのモンスターを育てる訳ではないからそんな綺麗ごとを並べられるんでしょ」と恨み、
この先幸せになれるはずなどないのに何を拠り所にしてこの子を育てていけば良いのか。
この子が生きている限り私は2度と幸せな生活を送ることなどできない。
もう死んでしまいたい
と思い詰め、毎日一家心中の妄想に取りつかれていたのです。
そして気づくと何の罪もないわが子に対して、
何のために生まれてきたの?
何故私の人生を台無しにするの?
生まれてなんて来なければよかったのに!!!
と激しい憎しみを覚え、消えてしまえば良いのに! といつしか夜も眠らず暗殺計画を立てるようになりました。
パパと2人の子どもなのだから計画を実行する前に予め断っておかなければならないと思い、パパが仕事に行くときには、
「今日帰ってきたときにはもうこの子はいなくなっているかもしれないよ」
と毎日うわごとのように言っていたそうです。
最初は
「自分の子どもなのに何てことを言うんだ! そんなことママの口から聞きたくない!」
と怒っていたパパでしたが、、
何日かたつと
「今日、帰ってくるまでに何か良い方法を考えるから1日だけ待ってね」
と言うようになりました。
そして帰ってくると
「まだ一番良い方法にたどり着けていないかもしれなくて考えている途中だから、あと1日だけ待っていてね」
とも言われるようになりました。
もしも「何を言っているんだ!」と怒られ続けていたならば、また私の怒りはわが子に向かって取り返しのつかないことになっていたかもしれませんが、良い方法を考えるから待っていてね、と言われた私は素直に従うことができました。
後から知ったのですが、パパはまともな話ができる状態ではなかったママを刺激しないように、精一杯時間稼ぎをして冷静さを取り戻してもらおうと思っていたようです。
1日1日と待たされるうちにドス暗い感情は少しずつ薄れてはいきましたが、その頃の私はまだこの子を愛せる日が来るなどとは考えられず、先輩ママさんの幸せそうなブログの記事も信用できず、
とりあえず5年だけ、、5年だけ我慢して育ててみよう。
その時に本当に恐ろしいモンスターになっていたら、迷子を装って手を離してしまおう。
きっと5年間も育てたのだから、私がわざと手を離したとは誰にも気づかれないはずだ。
と5年後の計画を自分だけの独りごととして、心の中にそっとしまったのでした。
でも育てようと決めたからには、わが子を少しでも可愛いと思いたい。
ピクリとも動かず、ニコリとも笑わない・・・ましてやモンスターだと思っているわが子を愛しいと思うことはすぐには出来ませんでしたが、5年間の我慢なのだから可愛いと思うようにして生活しよう、と最初は無理やり自分に言い聞かせていたのですが、、、
初めて笑ってくれた日からママはわが子のとりこになり、愛おしく思えてからは徐々に障害を受入れて適応することが出来るようになりました。
今ではこの子がいない生活など想像も出来ず、障害について前向きに知識を得たり行動したりできるようになり、最後の再起の段階にいるのだと思います。
かつてこんなにも酷いことを考え続けた母親でさえも、障害受容の最終段階の「再起」にたどり着けたのだから、きっとこの記事を読んでくださっているパパさん、ママさんにもその日はやってきます。
今はまだそんな先のことなど想像もできず、考えられないとは思いますが・・・・・
まずは先のことなど何も考えず、今日だけでも可愛い赤ちゃんの顔を見ながらゆっくり過ごしてみませんか?
今、苦しんでいるパパさん、ママさんの独りごとが、1日も早く笑い話に変わりますように!