駿河一之宮:富士山本宮浅間大社(静岡県富士宮市) | きさらぎのてげてげブログ

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神社

駿河一之宮:富士山本宮浅間大社

静岡県富士宮市宮町1-1

 

サーチ「富士本宮浅間社記」によれば、第7代孝霊天皇の御代、富士山が大噴火をしたため、周辺住民は離散し、荒れ果てた状態が長期に及んだとあります。第11代垂仁天皇はこれを憂い、その3年(前27)に浅間大神を山足の地に祀り山霊を鎮められました。これが当大社の起源です。

 

晴れ渡った空に映える富士山見ながら、神社へ向かうダッシュダッシュ

 

 

サーチ間大社は、富士山の噴火を鎮めた御神徳により崇敬を集め、富士山信仰の広まりと共に全国に祀られた1300余の浅間神社の総本宮と称されるようになりました。

本宮の境内の広さは約17000坪、徳川家康公寄進の神殿、楼門を中心とした御神域は御神徳の偉大さを物語っています。また、富士山8合目以上は奥宮境内地であり、約120万坪の広さに達します。古来富士山は富士山本宮浅間大社の御神体として崇められる神聖地であって数々の霊場行場があります。

 

御祭神木花之佐久夜毘売命(このはなのさくやひめのみこと)(別称:浅間大神(あさまのおおかみ))

相殿神瓊々杵尊(ににぎのみこと)大山祇神(おおやまづみのかみ)

 

二の鳥居・社号標(昭和三十二年建立)

 

 
 

 

 

sakura03の馬場

惜しいなぁ~真顔

雲がなければ完璧な構図だったのに(自己満画像)

 

 

三の鳥居

 

鏡池

一名眼鏡池とも云われます。中央の輪橋は大正4年御即位記念として石造りに改められました。

 

手水舎

 

楼門

背銘に慶長19年(1614)の年号があります。楼門に掲げる扁額は聖護院入道盈仁親王の御筆で文政2年に制作されたものです

楼門扁額

鉾立石

 

狛犬

 

 

拝殿・幣殿(徳川家康公の寄造営によるもの)

 

 

右側にチラリと写ってるのが信玄桜(現在は2世)

 

 

社殿全体

 

本殿(慶長9年(1604)徳川家康が奉賽のために造営)

サーチ二重の楼閣造で棟高45尺、浅間造りと称し其の構造は他に例がありません。1階は5間4面葺卸の宝殿造り、2階は間口3間奥行2間の流れ造りで共に桧皮葺です。明治40年5月27日古社寺保存法により特別保護建造物に指定され以後国宝又は重要文化財として特別の保護を受けてます。

本殿内左右に、三の宮七の宮あり。確認忘れました赤ちゃん泣き

 

祈祷殿(お守り授与所)

 

 

湧玉池

 

 

 

 

 

 

 

水屋神社手前の水くみ所

水屋神社

天神社

 

稲荷社

 

禊所

 

厳島神社

 

 

火山弾・南極の石

 

筆塚

 

忠魂碑

 

おまけ照れ

桜境内の桜桜