下関旅③長門国住吉神社・東行庵・功山寺(山口県下関市) | きさらぎのてげてげブログ

きさらぎのてげてげブログ

チャンスの神様は前髪だけ!つかまなきゃ!

 

 日本三大住吉
大坂・博多は和魂を祀るのに対し、下関の住吉神社は荒魂をお祀り。

どう違うのかよくわかりませんが、とにかく三大住吉、ということなので
行ってみなきゃ、、、と、参拝しました。



神社長門国一之宮:住吉神社

 

山口県下関市一の宮住吉1-11-1 地図

 
 
 


階段の横にいた、狛犬は鼻息荒そう(笑)

    
 


朱色の拝殿、、後ろに本殿

 



御本殿(国宝)
五殿ならんだ本殿は国宝。
応安三年(1370)大内弘世寄進による。
九間社流れ造・正面五ヶ所・千鳥破風附檜皮葺。



武内宿禰お手植えの楠

後ろが崖なので下がって全体撮ることができません。



東行庵

山口県下関市吉田1184


遺言によって奇兵隊の陣屋があった吉田の清水山に葬られた高杉晋作の菩提を弔うために、愛人おうのは梅処尼(ばいしょに)となって庵を結び、生涯、晋作の墓を守って暮らしました。「東行」は晋作の号で、高杉晋作の墓は国指定史跡。
晋作ゆかりの遺品などを収蔵、展示した東行記念館もあります。
(山口観光情報より)



庵の方は決まった日にしか見れないみたいで、閉鎖でした。
資料館のみ見学。


 
勤王の志士たちを支えた幕末の母野村望東尼(のむらぼうとうに)との交流記録もありました。
福岡 平尾山荘この山荘は一時期志士達のアジトになっていたといいます。高杉晋作も元治元年(1864)に長州藩の保守派に命を狙われるようになり、 危機を察して脱走し、同年11月に野村望東尼(ぼうとうに)の平尾山荘に潜伏し難を逃れました。しばらく滞在して下関に帰り同年12月に 奇兵隊等諸隊の決起

一応高杉晋作のお墓参り
お墓の写真は(今のところ)撮らない私です。だって何か写りそうで(@Д@;こわ~いあせる



功山寺

山口県下関市長府川端1-2-3


後醍醐天皇の嘉暦2年(1327)に開山された名寺。
わが国最古の禅寺様式を残した仏殿は、鎌倉時代の様式である唐様建築の典型的遺構。昭和28年国宝に指定

高杉晋作が挙兵した寺としても知られ、境内には馬上姿の晋作の銅像もあります



本堂



国宝仏殿




キラキラ全体のかたちが美しいキラキラらぶ2

   

特に屋根の「そり」が美しくて見入ってしまいました


本当は隣の「長府博物館」観るはずだったのですが、建て替え中で閉鎖されていました(残念)功山寺奥には長府毛利家の墓所もありました。


ペタしてね